三蔵が身を隠す場所を探し当てた時には、既に空は泣きだして冷たい雫を振りまいていた。できるだけ悟空を濡らさないように躯で庇いながら三蔵は見つけた、いや、自然が指し示した洞窟に駆け込んだのだった。
その洞窟は木々が枝を張る岩場の少し奥まった場所にあった。
そこへ辿り着くまで、悟空を抱いて歩く三蔵をまるで誘うように、そこここの草や木、風が背中を押したのだ。
いつもなら悟空を還せと、三蔵に敵愾心を燃やしてくるというのにだ。
それほど悟空が大事だってことかよ…
三蔵は忌々しげにため息を吐いた。
雨はしとしとと音もなく降り、三蔵の足跡を、二人の匂いを、痕跡を消してゆく。
それは追っ手から二人を守るように全てをくすんだ色に染め上げていくのだった。
外からこの洞窟の入り口はわかりにくい。
言い換えれば中からも外の様子がわかりにくいことを示す。
これは今の状態の二人にはちょうどいいのかも知れなかった。
三蔵は悟空を抱いたまま、一通り洞窟内を見て回った。
洞窟の中は比較的広く、意外に乾燥して居心地が良かった。
そして、奥に小さな泉が湧いていることを三蔵は確認し、入り口にほど近い壁際に悟空を法衣にくるんで寝かせた。
法衣にくるむ前、悟空の傷を調べて三蔵は知った。
三蔵の下敷きになった所為で、肋骨を折っていたようだった。
右の胸が嫌な形に凹んで、内出血を示す青黒い痣が浮いていた。
最初に気付いた時、悟空から感じた微かな血の匂い。
しかし、悟空の平気な姿にそれ以上問い詰めることができなかった。
気になりながらも放置した。怪我をした自覚のない悟空の言葉にどこか安心して、ちゃんと確認しなかった責任を三蔵は感じた。
そして、あの戦闘。
あれで傷が悪化したとしか思えなかった。
あの戦闘で暴れた所為で折れた骨が内蔵を傷つけたのかも知れなかった。
薄く汗をかいた頬に触れれば、常の体温より熱く感じる。
こぼれる吐息は忙しなく、急速に体調が悪化しているようだった。
「……み、ず…ほし…」
しばらくして気が付いたのか、悟空が躯を起こした。
その気配に三蔵が目を覚ます。
いつの間にか三蔵も眠ってしまっていたようだった。
「悟空」
「…さ、んぞ…水……」
身体を起こそうとする悟空を押しとどめて、三蔵は悟空を抱き上げると、洞窟の奥の小さな泉の傍に連れて行った。
そして、手のひらに汲んだ水を悟空に与えた。
「……おい…し」
喉を鳴らして水を飲んだ悟空は、また気を失うように眠ってしまった。
三蔵はまた、悟空を抱えて元の場所に戻り、そっと横たえた。
荒い息づかいがおさまる気配はない。
少しでも楽なように三蔵は悟空の頭を膝に載せてやった。
その気配に悟空の口元が僅かに安心したように綻ぶ。
そんな悟空の様子に三蔵は小さく息を吐き、薄暗い雨に煙る外を睨むように見つめた。
そう、いつもそうだ。
何か大事なモノが傷ついたり、大切なモノを失くすのはこうした雨の日だ。
何より大切だったあの人が自分を庇って逝った日も、悟空が妖怪と戦って初めて怪我をしたのも、いつだって雨の日なのだ。
悟空は雨は優しい癒しの存在だと笑うが、三蔵にとっては痛みを感じる存在でしかない。
どんなに雨の日に柔らかく悟空が笑っても、良い思い出が増えても、信じていた己の力が無力だと思い知ったあの痛みを忘れることは出来なかった。
そして、今もまた、自分を庇って怪我を負った悟空に何もしてやることができずにいる。
ただ、傍にいて見守ることしかできない。
また、己の無力をこうして自覚させられるのだ。
三蔵は忌々しそうに舌打つと、苛々と唇を噛んだ。
どれほどそうしていたのか。
ふと、三蔵は洞窟に近づく気配に顔を上げた。
足許に寝かせた悟空は、変わらずに苦しげな呼吸を繰り返している。
三蔵は痛みに眉根を寄せた悟空の顔に一度、視線を投げると、洞窟の入り口へと、気配を殺して近づいて行った。
洞窟の影から外を覗けば、感じた気配の主は三蔵達を追ってきた刺客のようだった。
今回は意外に執拗だ。
いつもならばとうの昔に刺客達は諦めているはずだ。
それが執拗に自分達を捜し出しては襲ってくる。
だが、考えてみれば三蔵達四人は妖怪達の間では賞金首だ。崖下へ落ちたのを目撃されれば、弱ってる所を捕まえようと考える奴がいても可笑しくはない。
悟浄と八戒が無事だったとしても自分達のように刺客達に襲われていない保証はどこにもない。仮に襲ってきた刺客達を倒した後、自分達を探しているとして、見つけてくれる可能性はあまり無いだろう。
ならば自力でここを抜け出し、悟浄達と合流するしかない。
けれど、悟空は動かすことができない。
折れた肋骨が内蔵を傷付けているかも知れない状態でこれ以上動かせばそれはすなわち悟空の命取りになる。
三蔵は近づく気配に神経を尖らせながら、法衣にくるまれて眠る悟空の寝顔をしばらく見つめた後、経文を悟空の懐に隠し、雨の降りしきる外へ音もなく滑り出て行った。