sight line (4)

洞窟の中に悟空の荒い息づかいが響く。
雨のベールの向こうでは微かな銃声と怒号が聞こえていたが、傷の痛みと発熱に犯されて眠る悟空に届くことはなかった。

雨が激しさを増した頃、悟空は上手く呼吸ができない息苦しさに目を開けた。

「さん…ぞぉ…?」

頬の下にあった温もりが消えていることに気付いて、霞のかかった瞳で周囲を探すが、求める姿はなかった。
自分の置かれた状況が上手く理解できないまま悟空は三蔵の姿を求めて躯を起こした。

「…俺…どうし…ッ!!」

途端に刺すような痛みが脳天を突き抜ける。
その痛みを躯を二つ折りにしてやり過ごし、悟空は今度はゆっくりと躯を起こした。
その拍子に躯をくるんでいた法衣が腰の辺りにずり落ち、緩んだ上着の合わせ目から巻いた経文が乾いた音を立てて落ちた。

「…なっ!?三蔵?」

転げ落ちた経文を震える手で拾い、ずり落ちた法衣を握って悟空は三蔵の姿を捜した。
けれど、洞窟の中に三蔵の姿は見つからなかった。

「なんで…?」

胸に湧いた疑問が、昏い不安を呼び起こす。



まさか……。



一度目を覚ました不安はどんどん悟空の胸の内で大きくなり、悟空を苛む。

三蔵が自分と経文を置いてここに、悟空の傍に居ない。
それは、一人で戦いに向かったことを示す。

そして、それは悟空を連れていれば足手まといになるという理由にほかなならない。
それは自分の状態を顧みても納得できるし、仕方ないとも思う。

しかし、三蔵が命よりも大切に守っている経文を置いて行った、そのことが悟空の不安をより大きなものにしていた。
その反面、どこかで悟空は安心もしていた。
それは僅かなものではあったのだけれど、経文が悟空の手元にあるということは、三蔵はここに、悟空の傍に戻ってくると言う証であるからだ。

「……さんぞ…」

ぎゅっと、経文を握りしめ、悟空は三蔵が無事に戻ってくることを祈るのだった。




悟空は三蔵の帰りを今か今かと、法衣と経文を握りしめたまま洞窟の入り口を見つめていたが、ふと、近づく気配に気付いた。

「三蔵…?」

三蔵が戻ってきたのかと、喜色を浮かべた悟空の顔がさっと、緊張に強張った。
雨音に混じって近づいてくる複数の足音は、聞き知った足音ではないことに気付いたからだ。

悟空は経文を懐にしまい、落ちないように確認すると、そっと法衣を脇に寄せ、如意棒を召喚した。
躯を動かすたびに走る痛みに顔を顰めながら、それでも戦闘態勢をとった。

刺客なら怪我をしていることを悟られるわけにはいかない。
先手必勝。
動ける間に動くのだ。

近づいてきた複数の足音と共に聞こえる声が、刺客のもので、この洞窟を目指しているのだと確信した悟空は、大きく深呼吸すると、如意棒を構え、洞窟の入り口に気配を殺して蹲った。

そして、刺客の影が洞窟の入り口に差した瞬間、如意棒を力一杯突き出したのだった。

狭い洞窟内での戦いは入り口で踏ん張っていれば何とかなる。
相手を狭い入り口から中に入れないように各個撃破すればいいのだ。

だが、今悟空のいる洞窟は外から見えにくい分、内側からも外を見えにくくしていた。
突っ込んでくる刃を叩き折り、伸ばされた腕をへし折り、躯を入れようとする相手の胴を突き倒す。

いつもなら何の抵抗もなく簡単に叩き伏せることができる人数と相手なのだ。

けれど、如意棒を振るうたびに胸に激痛が走り、息が上がる。
その上、ぬかるんだ足許が滑って上手く入り口に踏ん張っていることができず、悟空は遂に洞窟の中へ刺客を招き入れてしまった。

お互いの様子がよくわからない状態で戦っていたが、お互いを目の前にすれば相手の不調は歴然としていて、刺客達の戦意は上がった。

「やっぱり弱ってやがる」
「へへ、賞金は俺たちのもんだ」
「蛾月様の仰った通りだ」

刺客達の親玉は蛾月と言うらしい。
悟空は痛みで霞みがちになる意識を奮い立たせ、如意棒を構えた。

「やっちまえ!」

一斉に刺客達は悟空に飛びかかった。
正面から来る奴を如意棒の一撃で叩き伏せ、返す動きでもう一人を殴り倒す。
刀を跳ね上げ、袈裟懸けに相手を打ち下ろし、横合いからの刃をかわして距離を取る。
弱っているはずの悟空が自分達の予想以上に戦いを挑んでくることに刺客達は苛ついた。

一方、息苦しさを無視して、悟空は動き回った。
動くたびに走る激痛と迫り上がってくる吐き気を呑み込みながら、悟空は正面から突き込んできた妖怪の首筋を如意棒を横に払って打ち払った。
その躯が、すぐ傍にいた仲間を巻き込んで洞窟の壁に叩き付けられる。
背後の敵に振り返るその僅かな隙に、真横から刺客が悟空に切りつけた。

「──ッのぉ!」

躯を捻って避けたその行動が悟空の動きを止めた。
躯を捻った瞬間、今まで我慢していたものが、悟空の意志とは無関係に喉を迫り上がり、呼吸を圧迫した。

「─…ッぐっ」

飲み下す間も、口に手を当てる暇もなく、悟空は血の塊を鈍い音を立てて吐いた。
その様子に刺客達は一瞬怯んだが、好機とばかりに悟空に向かって小さな袋を投げつけた。

「…な…っ!?」

悟空の胸、腕、頬、足──それは所構わず悟空の躯に当たり、小さな破裂音と共に弾けた。
その途端、まるで蝶の羽の鱗粉によく似た粉が舞う。

「…けほっ、こほっ…ぅえぇ」

息を止める間もなく、悟空はその粉を吸い込み、咳き込む。
目にも入ったそれは悟空から視界を奪った。

それを待っていたように、刺客達が襲いかかった。

「…くそった、れぇ───っ!!」

それぞれ襲ってくる刃を気配を察してかいくぐり、悟空は渾身の力を振り絞って如意棒で洞窟の天井を突き上げた。

「な──っ!!!!」

悟空の行動に刺客達がはっと、天井を見上げた。
刺客達の慌てたその気配に悟空の血まみれの口元が微かに綻ぶ。

「お前らなんかに殺られるかよ」

悟空の声を待っていたかのように天井に亀裂が入ったと思う間もなく、轟音を立てて洞窟は悟空と刺客達を巻き込んで崩れたのだった。




 

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