sight line (7)

蛾月に案内されて辿り着いたのは、森の外れにひっそりと建つこぢんまりとした一軒家だった。

「こっちの部屋に寝かせたらいい。薬箱はタンスの上だ。俺は何か温かいものでも入れてくる」

そう言って、蛾月は三蔵を奥の一間に案内した。
そこは男の一人暮らしを容易に想像することができるほどに物のない簡素な部屋だった。
扉の正面に寝台が一つ、その足許にタンスであろう物入れ、その上に蛾月の言った通り、薬箱があった。
そして、寝台の脇に脇机が置かれていた。

三蔵は悟空を寝台に寝かせた。
躯を触るたびに痛みがあるのか、意識のない悟空の顔が時折歪む。
それに自分の方が痛そうな顔を三蔵は一瞬見せて、悟空の上着を脱がせた。

ことんと、乾いた音を立てて悟空に預けていた経文が床に落ちた。
それを見やった三蔵は床に落ちた経文をしばらく見つめたまま何かを考えていた。

やがて、三蔵は口の中で真言を唱えながら経文を拾い、悟空の脱がせた上着の間に隠すように入れた。

「何かあっても、これで何とか大丈夫だろう…」

三蔵は汚れた悟空の顔を指先で拭い、濡れて張りついていた髪を払ってやった。




「こんなモノしかないが、躯を暖める分にはいいだろう?」

悟空を寝かしつけて部屋から出てきた三蔵に蛾月はタオルと一緒に湯気の立つマグカップを差し出した。
三蔵はそれらを黙って受け取り、蛾月が勧めるまま、椅子に座って口を付けた。
それは仄かに甘い薫りのする紅茶だった。

「で、何であんな所に居たんだ?」

自分も三蔵と同じ紅茶を飲みながら、ことの次第を三蔵に訊ねた。

「崖から落ちた…だけだ」
「崖!?崖ってあんた達がいた近くの絶壁か?」
「あ、ああ」

三蔵の答えに蛾月は、酷く驚くと同時に感心した。

「普通は死んでるか、もっと大怪我してるはずが、あんたは無傷だし、あの子の怪我だってそれが本当なら大したことない怪我の部類にはいっちまう」

改めて言われなくてもそんなこと三蔵にはわかり切っていることだ。
悟空の怪我の原因は自分なのだという自覚もある。
それを今更、奇跡に近いことだと感心されても、三蔵に答える言葉はなかった。

「で、これからどうするんだ?」

訊かれて、三蔵はちらと、窓の外に視線を流したあと、答えた。

「あいつの気が付いたら出て行く」

三蔵の言葉にまた、蛾月は驚くと共に今度は呆れた顔をした。

「無茶いうな。あんた、あの子の状態がわかって言ってるのか?」
「わかっている。だが、ぐずぐずしてる暇はねえんだよ」
「なんでだよ?」

蛾月の問いに三蔵は一瞬、どう答えようか迷った。

正直に妖怪達に追われていると答えれば、その理由をまた話さなければならない。
だが、それはせっかく好意で助けてくれた蛾月を巻き込むことに他ならない。
それはできれば避けたいのだ。
例えそれが、面倒をこれ以上抱え込みたくないという三蔵の思いが根底にあったとしてもだ。

「言えないのか?」
「…いや」

返事をしながら三蔵はいつの間にか、カップの紅茶を飲み干してしまっていた。
それに気付いた蛾月が、

「もう一杯、どうだ?」

と、おかわりを促してくる。

「ああ、すまない」

そう言って差し出したカップを持った右手が不意にぶれた。

「……っ!!」

手渡そうとしたカップを机の上に落とし、三蔵は突然襲ってきた目眩に倒れないように躯を支えようと机に手を突いた。

「おい、どうした?」

様子がおかしくなった三蔵に驚いた顔を向けてくる蛾月に、「何でもない」と、言おうとして声が出ないことに気付いた三蔵の紫暗が見開かれた。

「ぉ…っあ…!」

引きずり落とされるように椅子から三蔵は転げ落ち、床に突っ伏した。

「大丈夫か?」

問いかける声に含まれた笑いに、三蔵は蛾月の正体を知った。

自分を見下ろす蛾月の薄笑いを浮かべた顔を睨み上げる。

「さすが、三蔵法師様だな。まだ、頑張るかい?」

蛾月は自分を睨む人を射殺せそうな三蔵の視線に動じることなく、三蔵の目の前にしゃがんでその顔を覗き込む。

「俺はね、あんたが大事にしている孫悟空が欲しいんだ。あの綺麗な黄金で見つめられたらゾクゾクする。あんたに向けられるあの絶対的な信頼とあの真っ直ぐな視線を俺は自分のものにしたいのさ」

蛾月の言葉に三蔵の瞳が見開かれた。

「何でかって?俺はずうっとお前達を追っていたのさ。何故お前達は強いのか知りたくてな。特に孫悟空の強さの源が知りたかった。で、気付いたんだよ。孫悟空はいつもあんたを見てる。呆れる程真っ直ぐな視線で、それは揺るぎない信頼と力で。その視線をあんたは当然の如く受け止めて何も感じていない。孫悟空の信頼もしごく当たり前だと言う顔でいる。何か腹が立ったよ。けどな、よく見てりゃ、あんたも孫悟空を見てた。あんた自身も孫悟空と同じ信頼と視線で見ていた」

蛾月は「知らなかっただろう」と自慢げな嗤いを浮かべ、けたけたと声を上げたかと思うと、ふっと真顔になる。

「羨ましかったと同時に欲しくなった。あの綺麗で絶対的な信頼と真っ直ぐな視線が。それが俺モノだったら…そう思ったらゾクゾクしたね。いい女をなぶり殺しにして喰らう以上の快感を体感できるんだってな。都合のいいことにあんたと孫悟空は懇ろな関係で益々、俺にとっては好都合だ。あいつを抱けるんだからな。俺の与える快感が孫悟空を虜にするんだ。で、孫悟空は俺の傀儡になるんだ」

にいっと、笑って蛾月は躯の動かない三蔵に触れた。

「孫悟空は警戒心が強いが、あんたには欠片も警戒心を持たない。だから、その姿、声全て借りるよ」

ふわりと、蛾月の髪が彼の躯を纏いだした妖力に煽られる。

「孫悟空は頂く。あの躯も力もあの視線も」

ゆらりと蛾月の躯が水面に映った姿のように揺らめいたと思った瞬間、そこにもうひとりの三蔵が立っていた。

「…ぁお…っ…!!」

「孫悟空が俺の傀儡になったら殺してやるよ。俺の傀儡になった孫悟空の手でな」

自分の声で高らかにそれは楽しそうに蛾月は笑うと、悟空が寝かされている部屋へ姿を消した。
その後ろ姿を炎のような視線で三蔵は見送るしかなかった。




 

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