不器用は不器用なりに、精一杯頑張っているのは、三蔵にも理解できた。
だが、そのことを差し引いても余りある悟空の行動に、三蔵は生まれて初めて”忍耐”とはどういう事か、身をもって学習することとなった。
為に、”忍耐”とそれに必ず付随してくる”努力”という言葉に愛着すら感じてしまう自分に、気のせいではない頭痛を感じ、何より自由に動けない自分の身体が恨めしかった。

もうすぐ、包帯が取れる。
真紹の家に拾われて、二桁の日々が過ぎようとしていた。



旅の途中 (10)
「さんぞ、大丈夫か?」

体慣らしのために始めた散歩。
その散歩に悟空は、付いてくる。
そして、嬉しそうに三蔵の手を引き、その小さい身体を一杯に使って三蔵を支えようとする。
その手を邪険に振り払うのは簡単だったが、何故かそうすることに戸惑いを感じ、結局、三蔵は悟空に手を引かれて真紹の家の回りを毎日、散歩していた。

明日は、包帯が取れるという日、遂に、三蔵の忍耐が限界を超えた。

「もういい加減、離せ。一人で歩ける」
「そんなことない!」
「ああ?」
「だって、まだふらふらしてるじゃないか」
「してねぇ。構うな」

しっかりと握りしめる悟空の手を振りほどくと、悟空をそこに残し、足早に行ってしまった。
行ってしまう三蔵の後ろ姿を泣きそうな瞳で悟空は見送った。
振りほどかれた手が、痛かった。




悟空は五行山からここまで、三蔵が悟空に与えた三蔵なりの優しさをきちんと受けとめていた。



あの日、突然目の前に現れた、目の覚めるような美しく眩しい人。
きらきらと太陽のように輝き、まっすぐに前を向いて揺るぎない人。
いつも不機嫌で、でも、たまに自分を安心させるように笑ってくれる。
忘れていた思いを一つずつ、丁寧に思い出させてくれた。
決して押しつけたりしないで、自分の意志に任せてくれる。
何より、誰より、側に居たい、離れたくない人。

新たに開いた悟空の世界。

その世界の全ての源は、三蔵だった。



だから、ケガをした三蔵に何かしたかった。

だが、どうしていいかわからず、真紹に相談すれば、毎日の食事を運び、腕の使いにくい三蔵のために介添えをする。
傷薬の交換を真紹と一緒に手伝う。
風呂に入れない三蔵の身体を拭いて、新しい寝間着に着替えさせる。
動けるようになれば、立つ練習の杖となり、歩くようになれば歩くための支えとなった。

幼く、三蔵よりも小柄な身体で精一杯勤めた。

三蔵も最初は、悟空の介添えや看病に戸惑いとイライラを募らせていたが、それもいつの間にか受け入れてくれていた。
意に添わないと、怒鳴られたりしたけれど、三蔵は優しかった。



それなのに…



ぐいっと、流れ落ちそうになった涙をシャツの袖で拭うと、悟空は三蔵の後を追った。
何を言われても、今もこれからも三蔵の傍を離れたくない。
だから、傍に居る。
これは、俺の意志。

三蔵……

真紹の家に向かう曲がり角に向かう三蔵の背中が、この時悟空にはとても近くに見えたのだった。






「どうだ?痛みはまだあるか?」

白い肌に走る紅い傷跡。
右肩、袈裟懸け、脇腹。
そして、足。

ちゃんとふさがったとはいえ、その様は見る人間に痛々しさを告げてくる。
三蔵は、ぐるぐると確かめるように腕を回し、握ったり広げたりを繰り返した。

「大丈夫だ。世話を掛けた」

少年には似合わない尊大な口調で真紹に礼を述べる。

「そうか、まあ、もう少し養生して行け。別段急ぐ旅でもないんだろ?」
「ああ。だがこれ以上、迷惑を掛けるわけにはいかない」
「ガキが、そんなこと気にするな」
「何だと?」

真紹の言葉に三蔵は、剣呑な表情を浮かべる。

「子供だよ、お前も、あの悟空もな。子供は遠慮なんかすんじゃねえ。好意には素直になれってんだよ。わかるな」
「…わかるが…」
「だったら、決まりだ」

ぱんと、膝を叩いて椅子から立ち上がると、真紹は外した包帯を片づけ始めた。

「悟空との散歩の時間だろ。今日は村へ行ってみろ、面白いモノが見られる」
「村?」
「ああ、家の前の道を右に折れて、少し行くと玉陽の村だ。まあ、だまされたと思って行ってこい。悟空がきっと喜ぶ」
「…わかった」

納得しかねると顔に大書した三蔵だったが、真紹の悟空も喜ぶという言葉に、動かされた。



昨日、邪険に腕を振り払った。

その後から、悟空は三蔵の顔色を窺うようになった。
自分を見つめる悟空の綺麗な金の瞳に、浮かぶようになった翳り。
それが、見えなくなったと喜んだのが自分で、またそれを生んだのも自分で。
三蔵は、感情にまかせて悟空の手を振り払ったことを後悔していた。

…ああ、もう…どうなってんだ?

自分の気持ちの揺らぎに戸惑うばかりで。
三蔵は、己の感情を持て余していた。

だから、真紹の申し出は正直なところ有り難かったのだ。
自分の良心の呵責のために。

声は悲しげに呼んでいるのだから。






「三蔵はね、綺麗なんだ。きらきらしてて、眩しいんだ」

玄関先の植木に水をやっている幸藍の傍で、悟空も一緒に水やりをしていた。

「本当にそうね。三蔵君は綺麗ね。でも、悟空ちゃんも綺麗よ」
「俺?」
「そう、生き生きしてて、何でも楽しそうで、あなたを見てるこっちまで幸せになるの」
「ホントに?」
「ええ、ウソなんて言ってないわよ」

楽しそうに頬笑む幸藍の笑顔に、悟空ははにかんだ笑顔を向ける。
が、すぐにうつむいてしまう。

「でも、三蔵は俺のことヤなんだ」
「どうして?」
「だって……」

言いかけた悟空の背後で、聞き慣れた不機嫌な声がした。

「散歩に行くぞ、サル」

振り返った先に、うす水色のストライプのシャツとブルージーンズ姿の三蔵が立っていた。

「…行ってもいいの?」

怯えた声で三蔵に訊く悟空に内心、舌打ちながらそれでも三蔵は、いつもの態度を変えなかった。

「行かねえのなら、そこにいろ」

くるりと踵を返す。
それに慌てた悟空は、

「行く!行くってば!」

そう叫んで、三蔵の腕に抱きついた。
一瞬、三蔵の身体が強張る。

「あ、ご、ごめん」

ぱっと手を離そうとしたその手を三蔵に掴まれた。

「さん…ぞ?」

きょとんと見返す悟空とは反対に顔を背けて、三蔵は小さく告げた。

「いい…繋いでろ」
「うん!」

聞こえた瞬間、満面の笑みで頷くと、二人を玄関先で見ていた幸藍に悟空は手を振った。

「いってきまぁす!」
「気を付けてね」
「はあい」

掴んだ三蔵の腕にほおずりするようにして、悟空は三蔵と共に日課の散歩に出かけた。
















真紹に言われた通り、いつもの散歩コースをはずれ、玉陽の村に向かった。

悟空は、いつもとコースが違うと三蔵に言ったが、三蔵は、「そうか?」と答えただけで、何も教えてくれなかった。
そうするとすぐ、気持ちが不安になる悟空は、離れないようにと繋いだ手に力を入れた。



村に近づくごとに人通りが増えてきた。
その人の流れを縫うように二人は村へ入った。


そこは、別世界だった。


色とりどりの花飾り。
様々な出店。
ウキウキするような音楽。
夢の住人のような大道芸人達。


目にした悟空は、村の入り口で動かなくなってしまった。

「悟空?」

怪訝な顔で悟空を見やれば、ただでさえ大きな瞳をこれ以上ないほど見開き、身体は小刻みに震えていた。

「…どうした?」

ただならぬ様子に三蔵が悟空の顔を覗き込んで問えば、ようやく何度かまばたき、我に返った。

「さ、さんぞ、これ…何?」

ぎゅっと、三蔵のシャツを握りしめて訊ねる悟空のあまりな驚きように三蔵は、思わず苦笑を零した。

「祭りだ」
「祭り?」
「そうだ、祭りだ。こんな時期に珍しいが、これは祭りだ」
「…祭り…」

三蔵の説明を聞く悟空の視線は、村の賑わいに釘付けだった。

考えてみれば、五行山からの旅路で、比較的大きな街にも何度か泊まった。
市場にも連れて行った。
しかし、その大きな街の市場でもこれほどの賑わいはない。
大勢の着飾った女達、酒に酔う男達。
踊る人。
歌う人。
いつもの何処か穏やかな喧噪とは桁違いの騒ぎに、圧倒されて悟空は動くことが出来なかった。

「帰るか?」

いつまでも動こうとしない悟空に、三蔵は祭りの喧噪に怯えているのかと気を回して問いかければ、

「…帰りたく…ない」
「じゃあ、ここでこうしてるのか?」
「ううん」

と、首を振る。

「どうしたい?」
「見たい…」

呟くような答えに三蔵は、悟空の頭を軽く撫でてやった。

「なら、しっかり腕、掴んどけ」
「うん」

ぎゅっと、三蔵の腕を握り直すのを確認した三蔵は、村の奥へ向かって歩き出した。




きょろきょろと周囲を見回す瞳は、不安と好奇心に彩られていた。

見たこともない賑わいに、楽しさよりも不安が先に来る。
三蔵との旅で人がたくさんいることには慣れたはずだった。
大きな市場にも連れてってもらった。
そこでも人がたくさんいて、大きな声がして、たくさんのお店があって・・・。

「さんぞ、あの人は何してんだ?」

悟空の指さす先を見れば、男と女の四人組が伴奏に合わせて踊っていた。
南の地方の踊りらしく、単調なリズムと素朴な振付だが、大地に根付く者の力強さに溢れていた。

「あれは、踊りだ」
「踊り?じゃあ、あれも?」

また指さす先では、少女と少年達が椅子の上でアクロバットを披露して、やんやの喝采を浴びていた。

「あれは、違う。踊りじゃねえ」
「違うの?」
「ああ、踊りだというのなら、あっちがそうだ」

三蔵がそう言って指さす先で、綺麗な若い女の人が、ふわふわした着物をきて、鮮やかな色の扇をその手に持って、優雅な舞いを舞っていた。

「…綺麗…」

しばし、三蔵が示した大道芸を見つめていたが、悟空の興味は違うところへ移った。

「さんぞ、あの店に積んである奴は何だ?」
「積んである奴?」
「うん、あの緑に黒い縞の…丸い奴」

悟空の言うものを間近で見ようと、人の流れからはずれる。
店のすぐ側に来て、三蔵はそれがスイカだと知った。

「スイカだ」
「スイカ?」
「果物だよ」
「食べても良いのか?」
「このまま、食えねぇ」
「えっ、そーなの?」
「そうだよ」

つまんない、残念と、スイカを見つめる。
三蔵は、思わず天を仰ぎたくなった。
まさか、買えとは言わないだろう・・・言った。

「なあ、これ欲しい…」
「何?」
「…ダメ?」

三蔵の機嫌を伺うように悟空が見上げてくる。

「だが…」

こんな重たい物を持って人混みの中を歩けと言うのか。
三蔵が、困ったような複雑な顔で店先に積み上げられたスイカを見つめていると、不意に、声が掛けられた。

「坊ず、スイカは初めて見るのかい?」
「えっ?」

顔を上げれば、顎髭を盛大に伸ばした店のオヤジが、悟空に笑いかけていた。

「う、うん…」

びっくりして、それでも頷く悟空に「そうか」と頷くと、手近なスイカを手に取り、刃先の長い包丁で半分に切った。
見事な切り口から、赤い果肉が現れ、甘い匂いが辺りに広がる。
その半分をもう半分に切って、更に食べやすい大きさに切ると、その一切れを悟空に差し出した。

「ほれ、食ってみろ、うまいぞ」
「あ…で、でも…」

三蔵の顔と差し出されたスイカを交互に見て、手が出せない。

「どうした?ほら」
「さ、さんぞ…」
「かまわん」
「うん!」

三蔵の許しをもらうや、悟空はスイカを受け取った。
そして、恐る恐る口を付ける。
甘い果汁が口いっぱいに広がって、美味しかった。

「美味しい…」

悟空の素直な感想に、男は白い歯を見せて笑う。

「だろ?今年の早生はできがいいんだ。代金はいいから、こっち来て好きなだけ食え」
「いや、それは…」
「子供は遠慮するな。それに今日は、子供が主役の祭りだ。だから、子供は遠慮しちゃなんねんだよ」
「主役?子供が?」
「ああ、何だ知らなかったのか。玉陽の村は遠い昔、子供の神様と村の子供達に助けられた。もともと子供は世の宝だっていうだろう。子供は大切に育てなきゃなんね。この祭りはそのことを大人達が思い出し、再確認するためと、子供達に生まれてくれてありがとうと感謝する為の祭りなんだよ」

だから、今日は子供は何でもやりたいように自由にしていいんだと、笑った。

そんな祭りもあるんだと、三蔵は驚いたが、嬉しそうにスイカを食べる悟空の姿に、芽生えた感情が確実に育っていることを改めて三蔵は知った。

まあ、サルが嬉しいならいいか…

自分を納得させるための理由を思う。
そして、

…今だけ

と。




旅の再開は、もう目の前。




9 << close >> 11