旅の途中 (9) |
三蔵と悟空が真紹に助けられて、五日が経った。
三蔵が起きて自分を見ている、そのことに金色の瞳を零れんばかりに見開き、三蔵に名前を呼ばれた途端、声を上げて悟空は泣いた。 その泣き濡れた寝顔を真紹は見つめたまま、三蔵に訊いた。 「おい、どうなってるんだ?」 答える三蔵の呆れ果てた声に真紹は一瞬、ぽかんとした顔をしたかと思うと、盛大に笑い出した。
「さんぞ、ご飯持ってきた」 危なっかしい足取りと手つきで、真紹の妻が作った粥を悟空は、運んできた。 「すぐよそってあげるな」 黙って悟空のすることを三蔵は眺めながら、悟空の様子に気を張っていた。
三蔵と悟空を助けた真紹という男は、三十過ぎの恰幅のいい男で、職業は偶然にも医者だった。
「さんぞ、はい」 目の前に差し出された茶碗を悟空から受け取った三蔵は、そのあまりの熱さに思わず、茶碗を取り落とした。 「ぁ、っつ…」 熱さに茶碗を取り落とし、赤くなった指先を見つめる三蔵を悟空は不思議そうに見つめていた。 「ご飯、いらなかった?」 掛布の上に落とした茶碗を拾いながら悟空は、小首を傾げて訊いてくる。 「熱いんだよ」 と、言えば、 「熱い…って?」 と、返ってきた。 「わからねえのか?」 考え込むような顔をする。 「お前、この間は俺の身体が熱いって、言ったじゃねえか」 戸惑った顔と声の返事が返ってくる。 「…マジか…よ」 三蔵の呟きを耳にして、悟空は三蔵の顔を覗き込む。 「いや…それよりお前、手を見せろ」 掛布の上に付いていた悟空の左手を掴んで手のひらを見れば、赤くなって少し熱を持っていた。 「その手、すぐ水で冷やしてこい」 三蔵の剣幕に押されるように悟空は、部屋を飛び出していった。 「火傷。後で診てやってくれ」 真紹は包帯や傷薬の入ったカゴを寝台に置くと、掛布の上に零れたままの粥に気が付いた。 「粥、零したのか?」 そう言って、寝台の足下にある引き出しからタオルを出すと、零れた粥をふき取った。 「だいたいふさがってきたな。もう二、三日すれば歩けるようになる」 無表情に頷くこの少年と子供を真紹は、気に入っていた。
昏睡状態から覚めた途端、その牙を隠すことなく真紹に剥いて見せた少年。 少年が目を覚ませば、途端に警戒を解く。 何も言わず、子供のことを慈しむような瞳で見つめる少年と儚いようで強く、何より少年を慕う子供。
「さんぞ、水につけてきた」 ぽたぽたと水を滴らせた手を振り回して、悟空が戻ってきた。 「てめえ、濡れた手を振り回すな!」 三蔵の怒鳴り声に、悟空は慌てて濡れた手を後ろに隠す。 「何もしないよ、ほら、赤くなった所に薬を塗ってあげようと思ったんだよ」 言うなり、真紹は悟空を抱きしめた。 「…ん、ヤだぁ」 バタバタと暴れる悟空の声に我に返った三蔵が、真紹の背中に銃を突きつけた。 「湧いてんのか、オヤジ」 ごりっと押しつける銃口に真紹は、苦笑いを零して、悟空から身体を離した。 「いやぁ、つい、可愛いもんでな」 くしゃっと悟空の頭を掻き混ぜると、赤くなった悟空の手に薬を塗りだした。
声しかしないあの敵に傷つけられても、痛みは感じてなかった。 世話を焼かせやがって… じっと、大人しく真紹の治療を受けている悟空の姿を見ながら、三蔵は小さく舌打ちした。
夜中、悟空は消え入りそうな声で目が覚めた。 三蔵の傍を離れない悟空のために、三蔵が眠る部屋の床に布団が敷かれ、そこで悟空は眠っていた。 「さんぞ?」 もそもそと起き出して、常夜灯の明かりを頼りに近づけば、三蔵が荒い息を押し殺すようにして寝台に踞っていた。 「さんぞ?さんぞ…?」 うつむいた三蔵の顔を覗き込むようにして名前を呼べば、酷く頼りなげな紫暗が悟空を見返した。 「…ご、く…う…?」 荒くなる息をさもたいしたことがないと言うように、三蔵は悟空に笑いかける。 「そんなわけない。さんぞ、なんか変だよ」 そう言って三蔵の身体を起こそうとした悟空の手が、止まった。 「さんぞ、身体…熱い?」 呟くように漏れた言葉に、今度は三蔵が瞳を見開いた。 「わか…るのか…?」 悟空の言葉を肯定してやろうと頷いた拍子に痛みが身体を走り抜ける。 すぐに真紹が駆け込んでくる。 三蔵の様子に真紹は、痛み止めの注射を用意する。 「夕方から、熱がぶり返してたんだろうが。我慢もいいが、ここは病院で、お前は患者だ。患者は医者に甘えて、我が侭を言っていいんだ」 怒った口調でそう言うと、三蔵の腕に注射をした。 「少ししたら、痛みも熱も引く。そうしたら眠れるはずだ」 頷いて顔を上げれば、部屋の入り口に悟空が立ちすくんでいるのが見えた。 「…さんぞぉ…」 今にも泣き出しそうな顔で三蔵の側に来ると、寝間着の裾を握りしめる。 「悟空、俺の手は熱いか?」 透明な膜の張った金眼が、熱で潤んだ紫暗を見返す。 「どうだ?」 ふぇと、泣き出しかける。 「それ、こっちへ持って来てくれ」 そう、返事をして三蔵は悟空の手を取ると、真紹が下げているやかんに触れさせた。 「熱いっ!」 そう叫ぶなり、三蔵の手を振り払った。 「それが、熱いだ。忘れるな。いいな」 少し赤くなった指とやかん、三蔵を見比べた後、嬉しそうに笑った。 「俺、もう忘れない、忘れないよ」 その笑顔に三蔵はほっと、息を吐き、自分が酷く緊張していたことを知った。 二人の行動を理解できないで見ていた真紹は、面白い二人だという印象を深めた。 横になった三蔵が寝息を立て始めたのを見届けた真紹は、悟空にもう寝なさいと告げて、部屋を後にした。 「うん!」 満面の笑みで誇らしげに頷く悟空に笑みを返して、真紹は扉を閉めた。
旅立ちはまだ、遠い。
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