旅の途中 (13)

目が覚めたそこは、暗い部屋だった。

薄ぼんやりとした意識のまま、悟空は周囲を見回した。
そこはカサカサと乾いた音がする場所で、その音から風がどこからか入り込んでいることがわかった。
その音を聞きながら悟空は、また、周囲を見回す。
暗い。
真っ暗ではないが、暗い。
薄暮のような曖昧な暗さの部屋だった。

「…ど、こ?」

ハッキリしてきた意識に、悟空は身体を起こした。
それと同時に鳴る金属の擦れる乾いた音。

「……?」

音のする方へ視線を向ければ、黒い枷が自分の足に嵌っていた。

「えっ…?」

息を呑む。
その黒い枷から伸びた鎖は、壁に繋がっていた。

瞬時に思い出す岩牢。

「や、やだっ!」

悟空は足を振り回した。
その動きに連れて鎖がちゃりちゃりと、澄んだ音を響かせる。
今度は足を抜こうと、枷を引っ張った。
引っ張れば引っ張るほど枷が食い込み、足を傷つける。

「取れない…取れないようぉ…」

床に足ごと枷を叩き付け、鎖を力の限り引っ張り、振り回し、悟空の格闘はずいぶんと長い時間続いた。
しかし、その行為はいたずらに悟空の身体を傷つけるだけで、何の解決にもならなかった。

「さ、んぞ、さんぞぉ……ふぇぇ…」

傷だらけになった手で溢れる涙を拭いながら、悟空は心配しているであろう三蔵を呼んだ。
けれど、こんなどことも知れない部屋に自分が居るなんて、三蔵は思いもしないだろう。
興味のあることに出逢って、追いかけて、迷子になっているのだろうと思って、呆れているのかも知れない。
ちゃんと、三蔵に声をかけてから道案内すれば良かった。
後悔が沸き上がる。
悟空はその大きな瞳からぽたぽたと大粒の涙を零して、泣き出してしまった。
















三蔵は、並木の影に佇んで道行く人々を睨みつけるようにして見つめていた。

聴こえる声は、不安に染まっているのに、側に居てやれない。
声は、泣いている。
三蔵を呼んでいる。



…悟空



一体どうしたというのだろう。
町中探した。
なのに気配すら感じない。
それでも、町を出ていないことは確かだ。

迷子になったのではない。
誰かが、故意に悟空を連れ去ったのだ。



誰、だ?



あの声が言っていた、蓬瑛の仲間が悟空を連れ去ったというのだろうか。
胸に沸き上がる不安は、大きく色濃くなってくる。

失う?
誰を?
何を?

蓬瑛に襲われる前に感じた恐怖が、また三蔵に忍び寄ってきていた。




通りを睨む三蔵に不意に声を掛けてきた人間が居た。
怪訝な顔で声の主を見やれば、そこに男が一人立っていた。

背の高い細面の男。
伸ばした髪を一つにまとめた、どこかは虫類を想像させる男だった。

「あの、子供を捜してるってそこで訊いたんだが、本当か?」

三蔵の瞳が、見開かれる。
男は、おずおずと三蔵にもう一度、訊いた。

「金眼の髪の長い子供を捜してるんだろ?」

三蔵は軽く眉を顰めると、男に頷いた。
途端男は嬉しそうに笑うと、悟空の居所を知っていると告げた。

「何だと?」

一瞬、三蔵の思考が止まった。

男の顔が、笑った。



隙が、出来た。



「あんたも欲しいんだとよ」

そう言って笑った男の笑顔が、闇に呑まれる三蔵の意識の端に残った。
















女が動くたびに涼やかな音が、女の身体のそこここで鳴った。
着飾った女が、しなだれかかって傍らの男の盃に酒を注いでいる。

「…で、ふたりとも手に入れたか?」

男の声に、答えが返った。

「一人は扉の外に連れてきているが、会うか?」
「どっちだ?」
「金糸の子供だ。気を失っているが?」
「いい、俺が起こす」
「わかった」

柱の影から、三蔵に話し掛けた男が姿を見せ、扉の側に居る男に合図を送った。
男からの合図を受けた扉の側に立つ男が、軽く頷いて扉を開けた。
そこには、気を失った三蔵がストレッチャーによく似た寝台に寝かされていた。

「こちらへ」

柱の所に立つ男が促すと、扉の側の男がその寝台を音もなく押して二人の前に近づいた。
女を侍らせていた男は、女を下がらせると、立ち上がって三蔵の側に立った。

見下ろす三蔵の気を失っている分、普段の険がとれてあどけないと言っても過言ではない無防備な寝顔に、男は好色そうな笑みをこぼした。

煌めく金糸の髪、通った鼻筋、白磁の肌。
染み一つない額に息づく深紅のチャクラ。
女でさえこれほどの美貌を持ち合わせていないだろう。
男は、そっと三蔵の頬に手を触れた。
ひんやりとしたすべらかな肌の感触に、雄の欲望が頭をもたげるのを感じた。

「金眼の子供は?」

三蔵の法衣の合わせ目を開きながら、側の男に悟空の様子を尋ねた。

「あの子供は、いつものところに繋いであります」
「なら、市の用意だ。こいつは俺の手元で可愛がってやる」
「すぐに」

二人の男は頷くと、三蔵と男を残し、部屋を出て行った。






ぬめるような感触に三蔵の意識は、目覚めた。
気を失う時に嗅がされた薬の所為か、ハッキリしない感覚に眉を顰めながら、自分の置かれた状況を確認しようとその瞳を開けた。



一瞬で覚醒した。



欲情に濡れた男の舌が、体中を這い回っていた。
愛撫を施す男の手に鳥肌がたった。

「…!」

反射的に覆い被さっていた男の髪を掴むと、三蔵は力一杯両手で引っ張り、男を自分の身体の上から蹴り落とした。
全くの無防備な状態で三蔵の蹴りを受けた男は声もなく床に転がり、呆然と寝台の上で荒い息を吐く三蔵を見上げていた。

全裸で白い肌を曝し、燃え上がる紫暗を怒りに染めている三蔵の凄絶な美しさに男は見惚れる。
蓬瑛によって付けられた傷跡がなまめかしく白い肌を這う様は、匂い立つような色香を男に放っていた。

三蔵は目の前の男を睨みながら、自分の銃を探した。
目的の銃は、経文とともに寝台のサイドテーブルの上に置かれていた。
三蔵の位置から手を伸ばせば、簡単に取ることが出来る。

三蔵はそろそろと男が動かないことを確かめながら、銃に手を伸ばした。
指が銃に触れたその時、男が我に返った。
はっとして三蔵に掴みかかるのと三蔵が銃を掴むのとどちらが早かったのか。

一発のくぐもった銃声が、部屋に響いた。

三蔵に覆い被さるようにして男が崩れ折れた。
間一髪、僅かに三蔵が銃を握るのが早かった。

弾は正確に男の心臓を打ち抜いていた。
三蔵は事切れた男を蹴り落とすと、たまらない嘔吐感に襲われ、その場で吐いた。




三蔵は己の容姿に無頓着だ。
だが、女と見まごうほどの美貌は、本人の自覚とは無関係に世の好色な男共を惑わすのには十分魅惑的だった。
その姿に似ない性格が幸いしてか、それともその腕っ節の所為かは定かではないが、言い寄る不埒な輩を時には叩きのめし、時には鉛玉をプレゼントしてそう言う危険からは逃れてきた。
そんな数知れない経験のお陰で、三蔵は人に触れられることに嫌悪を感じるようになってしまっていた。
だから今回のように全裸に剥かれ、愛撫を施され、あまつさえその肌に所有印を刻まれたなど初めての経験で、身体の底から沸き上がる不快感と嘔吐を止めることが出来なかった。

鳥肌だった肌。
青ざめた頬。

豪奢な寝台の上で身体を丸め、止まらない嘔吐に三蔵は我知らず、涙を流したのだった。

震える身体を何とか宥め、三蔵は自分の着ていたモノを探した。
肌に残る男の触れた感触を洗い流したかったが、そうしている余裕はなかった。
いつ、この男の仲間がここに入ってくるかわからないからだ。
三蔵は周囲を探し、ようやく着るモノを見つけた。
広げれば自分の法衣ではなかったけれど、選り好みを言っている訳にもいかず、三蔵はその衣服に袖を通した。

赤いチャイナ服。

どう見ても女物のようだったが、三蔵は迷わずその服を着込む。
まだ、少年の身体にその服は大きかったが、七分丈のズボンとチュニックタイプの上着のお陰でなんとか動きやすい格好になった。
そして、経文と銃を握り脱出すべく、扉に近づいた。

その時──────




声が、聴こえた。




「!!」

それは紛れもなく、悟空の声だった。
三蔵を呼ぶ、声。

「悟空?…まさか…」

声に意識を向ければ、あれほど感じられなかった悟空の気配が微かに感じられた。

「ここに、いる?」

三蔵は声を辿って、行動を開始した。




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