旅の途中 (14)

悟空は、市の会場の中の一室に設えられた赤い檻の中に入れられていた。

繋がれた部屋で泣いていると、あの道を訊いてきた女が入ってきた。
そして、顔を近づけられ、また訳がわからなくなった。

目を開ければそこは、赤い格子の嵌った箱の中だった。

「どこ…?」

身体を起こせば、素肌に冷たい感触。
悟空は一糸まとわぬ姿にされていた。

「は…だか?何で?」

状況が掴めない悟空は、きょろきょろと周囲を見渡した。
檻の中から見えるモノは限られていたが、訳がわからなくなる前にいた場所ではないことはわかった。
幾重にも上から布が下がったそこは、薄暗かったが、どこかざわついた雰囲気がしていた。
そう、たくさんの人の気配がするのだ。
人の気配は、悟空にほんの少しだけ安堵を与えた。
一人ではないのだという、安堵。
悟空は息を吐くと、膝を抱えて座り直し、目を閉じた。



さんぞ…





…悟空



「えっ…?」

声が、聴こえた。

大好きなあの人の声が。
胸の中で自分を呼んでいる。

「さんぞぉ…」

声に出して今度は呼ぶ。



悟空…



また、聴こえた。

「俺、ここ、ここにいるよ!」

悟空は檻の格子を掴むと、三蔵を呼んだ。

三蔵が側にいる、来ている。

それだけで悟空の不安は払拭された。
掴んだ格子を力一杯揺する。
がたがたと揺らすが、幾何学模様に組まれた格子はびくともしない。
それでも悟空は諦めることなく、格子を揺らし続けた。

その様子を悟空を攫ってきた女と三蔵を捕まえてきた男が見ていた。

「無駄なことをするもんだ」
「あら、健気で可愛いじゃない」
「お前の好みか?」
「好みって言うより、ほっとけないのよ。仕事でなかったら、あたしが欲しいくらいよ」
「言ってろ」

くすくすと笑う女の言葉に男は、呆れたため息を吐くと、市の用意が出来たたことを知らせに行くと、その場を離れた。






三蔵は悟空の声を辿って、市の会場の外にまで来ていた。
大勢の身なりの良い人間が、顔を仮面で隠して出入りしている。


…なんだ?


訝しげに見つめていれば、三蔵の前を通り過ぎる人間の話し声が聞こえた。

「急な市に驚いたのですが、掘り出し物だと聞いたので見るだけでもと思ったのですよ」
「ああ、あなたもですか。金眼の子供だと聞いたので、ぜひ」
「金眼?それはまた珍しい」
「可愛い子なら仕付けるのも面白いでしょうね」
「そういうことになりますか」

話ながら扉の向こうに消える人間達。


人身売買…だと




妖怪と人間が住む理想の世界と言われる桃源郷にも闇の部分はある。
人身売買、奴隷市。
娼婦、男娼、遊郭。
裕福な人間、貧しい人間。
影の世界を統べる者とそこに住む者。
光と影の様に相反する世界が、ここにもあった。

身よりのない人間や口減らしのために売られた人間、攫ってまでも手に入れたい人間が、変態趣味な輩に売られて、買われて行く場所。
ここが、今、目の前の扉の向こうがその場所だった。

そこに悟空が居る。

冗談ではなかった。
こんな目に遭わす為にあの岩牢から連れ出したわけではない。
こんな変態共に買われるために連れてきたわけではない。
自分達につきまとう影は、こんな輩の仲間だったのだ。
蓬瑛、悟空を連れ去った女、そして自分をこんな所に連れてきた男。
三蔵は、ぎりっと奥歯を噛みしめると、悟空を取り戻すべく扉の向こうへ姿を消した。






悟空は格子を揺らしながら、三蔵の気配がすぐそこに来ていることを知った。



三蔵…さんぞ…



がたがたと揺れるばかりで、一向に檻はゆるみもしない。
遂に悟空は、格子に体当たりし出した。
素肌に当たる檻の格子が、赤い痕を付ける。

「このっ…!」

力の限り当たっても、檻は乾いた金属音を立てるだけ。
当たった肌に血が滲んでも悟空は、体当たりすることを止めなかった。

市の開始時間が近づいたため、様子を見に戻ってきた女は、悟空の姿に小さな悲鳴を上げた。
今夜の市の目玉商品が、傷付いて血を流しているではないか。
傷だらけでは、珍しい金眼の子供でも商品価値はない。

「おやめ!」

女は、怒鳴りながら悟空の檻の前に駆け寄った。
悟空はちらと怒鳴る女に視線を投げただけで、檻を壊そうとする体当たりを止めようとはしなかった。
肌が切れて、血が飛ぶ。

「止めなさい!」

檻を外から掴んで悟空を怒鳴る。

「やだ!」

ばあんと、女が掴んだ場所に拒絶の言葉と共に体当たりする。
悟空の身体と格子に挟まれる形で女の指が嫌な音を立てた。

「…!」

痛みに声も出せない女は悟空を睨み据えると、吐息を悟空に投げかけた。
その刹那、乾いた銃の音が響いた。

「…えっ?」

悟空の目の前で女は驚愕にその瞳を見開いたまま、額から血と脳漿を散らして崩れ折れた。
突然の事態にびっくりして銃声のした方を見れば、赤いチャイナ服の三蔵が酷く不機嫌な顔で銃を構えて立っていた。

「さ…んぞ…?」



悟空の気配を辿って来てみれば、全裸で檻に入れられているではないか。
その姿に安堵の息を吐くと同時に、言い知れぬ怒りが己の内に湧き上がって来るのを抑えることが出来なかった。
出ようと暴れている悟空に女が何かしようとしているのを見た途端、引き金を三蔵は引いていた。
弾丸は狙い違わず、女の後頭部を打ち抜いていた。
悲鳴を上げる間もなく女は絶命し、檻にもたれるようにして崩れ折れた。
崩れ折れる女の影から、瞳を見開いた悟空が見えた。



三蔵は眉間に皺を寄せたまま悟空の檻に近づくと、鍵穴を探してそこを打ち抜いた。
悟空は開けるのももどかしく三蔵に抱きつこうとして、足枷に引っ張られて転んでしまった。

「さんぞぉ…」

泣きそうな顔で自分を見上げる悟空に三蔵は近づくと、銃で悟空の足に嵌められた枷を打ち砕いた。
乾いた音と共に枷が落ちると、悟空は三蔵に飛びついた。
三蔵は、片手で悟空の身体を受けとめ、ようやく緊張した身体を緩めるのだった。




三蔵の放った銃声は、女の仲間を呼ぶには充分な大きさだったらしく、大勢の足音が近づいてくる気配がした。
三蔵は裸の悟空を抱えたまま着るモノを探して辺りを物色し、何とか着られそうなモノを見つけた。

「これ…着るの?」
「つべこべ言わずに着ろ。奴らが来る」
「う、うん」

悟空は三蔵から受け取った服を広げて、ため息を吐いた。
幾ら着るモノがないからと言って、これはあんまりだと思う。
恨めしげに戸口で外を窺う三蔵を睨んだが、三蔵の服装を見れば、文句も言えない悟空だった。

「急げ」

ドアの外に気を配りながら悟空をせかす三蔵に悟空はもう一度頷くと、素肌の上にピンクのチャイナドレスを着た。
何とも目立つ格好だったが、この際構っている暇はなく、二人は市の会場から抜け出た。

ドアを開けた途端、銃声を聞きつけて集まってきた女の仲間と鉢合わせしてしまった。
反射的に引き金を引く。
焦ってはいても三蔵の射撃は正確に相手を撃ち抜いて行く。
掴みかかって来る者は、悟空が渾身の力で薙ぎ払った。

「走れ、悟空!」
「三蔵!」

正面から掴みかかってくる男を見事な回し蹴りの一撃で床に静めた悟空は、三蔵の示す方へ向かって走り出した。
その後を三蔵も追う。
追いかけて来る奴らを振りきるように二人は互いに手を取り合うと、夜の静寂に駆け出して行った。






その頃、三蔵を捉えた男は、顔色を変えて市の総括をしている事務室に駆け込んでいた。

市の準備ができ、急な開催にも上々の客の入りを報告に、三蔵を嬲っているであろうボスの部屋へ赴いた。
そこで、心臓を打ち抜かれ事切れた全裸のボスの死体を見つけたのだった。
ボスの相手をしているはずの金髪の子供の姿が消えていた。

大変なことになった。

男は転がるように事務室に駆け込み、組織のナンバー2である人間に報告した。
その男は、にやりと笑うと何事もなかったように振る舞い、市をそのまま開けと命じた。
そして、密かにボスを殺した犯人の金髪の子供を捜して殺せと、報告に来た男に命じた。

「必ず仕留めろよ、釆」

男はそう言って、報告に来た男──釆を睨め付けたのだった。



ナンバー2の男にとって今回のことは、僥倖だ。
いつまでも二番目に甘んじているつもりはなかったのだ。
いずれ自分が取って代わるつもりでいた。
その時期が自分が考えていた時期より早まっただけだった。
自分が一番になるための布石は、時間を掛けてばらまいてある。
おたおたすることはなかった。

ボスが今日の目玉にと用意していた金眼の子供は、自分のとっておきの商品として市に出せばいい。
これで、この仕事と組織は自分の手中に収まった。
あとは、この僥倖をくれた子供ひとりを始末するだけだと、男は口の端を歪めて笑った。
















三蔵と悟空は、追いすがる奴らを撃ち倒し、殴り倒して、息の続く限り走った。
ようやく追っ手を振りきった頃、二人は見覚えのある通りに出ていた。

「も、もう…はし、れな…」

悟空がかくんと膝を折って、道にへたり込んでしまった。
三蔵も繋いだ悟空の手に引きずられる様にして尻餅をついた。

荒らしのような呼吸に胸が、脇腹が痛かった。

流れる汗を拭って回りを見れば、すぐそこに昨日泊まった宿屋が見えていた。
三蔵は四つんばいになって息をする悟空に声を掛けた。

「…おい、あそこ、昨日の宿屋だ」
「えっ…?」

三蔵の声に顔を上げれば、確かに昨日泊まった宿屋の看板が見えていた。

「荷物はまだあそこに預けてあるから。行くぞ」
「う、うん…」

力の入らない足を何とか踏ん張って二人は立ち上がると、宿屋目指して歩いた。

今朝立つはずだった三蔵が、連れがいなくなったから探す間荷物を預かってくれと、昼前に出て行った。
その三蔵が、連れの悟空と出て行った時とは全く違う見慣れない格好で戻ってきたのには、主人もびっくりした。
だが、かいつまんだ事情を聞いた主人は、二人の部屋を用意し、暖かく迎えてくれた。

「ありがとう…」

疲れて青ざめた顔で三蔵が礼を言うと、宿の主人は追っ手が来ても安心して寝ていろと胸を叩き、三蔵と悟空を宿の一番奥の二人部屋へ案内した。
主人が去って、ようやく人心地着いた三蔵は、悟空を促して風呂に入った。

忌々しい行為の残滓を洗い流すために。



洗い場に座った悟空に湯を掛けてやると、しかめ面をした。
何事かと見れば、半身打ち身と擦過傷で傷だらけになっていた。
知らずに掛けた湯が、傷に染みたらしかった。



染みた?…痛い?



三蔵はまじまじと顔をしかめている悟空を見やった。
そう、今、悟空は痛みをその身体で感じている。

感じているのだ。

深手を負ってさえ、痛いと感じなかった悟空。
その悟空が、今、痛みを感じている。

三蔵はこの時を逃すわけにはいかなかった。

痛みがわかれば、もう少し己の身を庇うかも知れない。
行動が慎重になるかも知れない。

失っていた感覚が、またひとつ、その身に戻ろうとしていた。



「おい、痛いのか?」

恐る恐る悟空に訊いてみた。

「痛い…?」

きょとんと見返す。
もう一度、三蔵は悟空に湯を掛けた。
途端、顔をしかめる。

「それが、痛いだ」
「…これ…が?」

また、湯を掛ける。
少し熱めの湯を。
悟空はその痛みに、泣きそうな顔を三蔵に向けた。

「さん…ぞぉ…」
「ようく覚えとけ。それが痛いだ」
「…うん…」

ひりひりとする痛みに涙を浮かべて頷く悟空に、三蔵は深い安堵を覚えるのだった。




最後の戦いが始まる。




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