早朝、三蔵と悟空は旅立った。

昨夜の活劇の疲労がまだ身体に残っていたが、奴らの追っ手に気付かれる前に何としてでも街を出たかったのだ。
追っ手が来るのではないかと、まんじりともせずに明け方まで眠ることが出来ず、寝られないのなら夜明けと共に旅立つのも悪くないだろう。
三蔵はまだかなり眠いであろう悟空を起こし、宿の主人に礼を告げて、街を後にしたのだった。



旅の途中 (15)
ちりちりと肌に刺さる視線。
街を出てからずっと、三蔵と悟空を見つめる殺気を孕んだ視線。
その視線の持ち主の気配は、常に三蔵と悟空の後ろからしていた。

「さんぞ、何か…変」

気配に敏感な悟空はその視線の痛さに耐えられなくなったのか、そう言うと街道にしゃがみこんでしまった。

「悟空?」

しゃがみ込んだ悟空の顔を怪訝な顔で覗き込む。
その三蔵の髪を何かがかすめた。

「!!」

はっと振り返るそこに、三蔵を捕まえあまつさえ、あんな目に遭わせてくれた男が仲間を連れて立っていた。
三蔵の緊張に悟空は顔を上げ、三蔵の視線を辿る。
三蔵と睨み合う男の視線に、悟空を不快にさせていた視線だと気が付いた。

「さんぞ…」

小さく呼べば、三蔵の身体が緊張する。


敵…?


悟空はゆっくり立ち上がると、男の方を見た。

「よくもやってくれたぜ。ただ顔が綺麗なガキだと思っていたのは間違いだったんだな」

男の言葉に三蔵は殺気を滲ませるだけで、何も答えない。

「その金眼のチビまで連れて逃げるたぁ、良い度胸だ」

三蔵の右手は懐の銃を握っていた。
既に、撃鉄は起きている。

「お前のお陰で、もう後がねえ。蓬瑛や恵蘭のようにはいかねえからな」

その言葉に会わせるように、背後の男達が三蔵と悟空を取り囲もうとする動きを見せる。

「…三蔵…」

そこへ声が飛んだ。

「釆、待て!」

声の主を一斉に、三蔵や悟空までもが見やった。
街道の横道から鉄の車に乗った恰幅の良い男が現れ、そこにいる全員を睨め付けていた。




市を予定通り開けた。

今回の市の目玉商品は、珍しい金眼の子供。
大地色の長く柔らかな髪、零れんばかりの大きな金色の珍しい瞳、愛くるしい容、華奢な身体。
庇護と嗜虐を誘うその姿に、思わず見惚れた。
今までで、最高の値が付くはずだった。

それをこの金髪の子供が不意にしてくれた。

金眼の妖怪の子供を手に入れるために集った好色家の金持ち連中。
だが、その前に子供を差し出すことは叶わなかったのだ。
後には、骸となった部下達の死体が転がり、壊された足枷と檻が在るばかりだった。

たった一回の不手際。

それだけで、襄大人の信用は地に落ちた。
ライバルの多いこの世界で一回の失敗は組織の解散を意味する。
気まぐれな金持ちの客は、どんな失態も許しはしない。
二度と愛玩道具や奴隷のための人買い市をあの街では開けなくなってしまった。
せっかく手に入れた組織は、たった一夜で泡のように消えたのだ。




「襄大人!」

三蔵を追ってきた男、釆が驚きの声を上げる。
釆に襄大人と呼ばれた男は鉄の車から降りると、三蔵と悟空の方へ近づいてきた。
その行動に悟空が、警戒心も顕わに三蔵の前に立つ。

「釆、そいつらか?」
「はい」
「ふん、よくもやってくれた」
「襄大人?」
「釆、命令は無しだ。思う存分痛めつけて、葬ってしまえ」
「い、いいんで?」
「ああ、構わねえ。存分にやんな」

襄大人はぎらぎらとした殺気と怒りに彩られた視線を三蔵と悟空に投げると、釆の後ろに下がった。

「三蔵…」

不安げな声で、三蔵を悟空が振り返る。
三蔵は懐で銃を力一杯握りしめると、悟空に囁いた。

「二度と俺たちに手出しできねえように叩きのめす。悟空、構わねえから好きなようにぶちのめせ」
「…う、うん」

三蔵の物騒な言葉に悟空は、曖昧に頷くと目の前の男達を見つめた。

「おい、お前達も手を貸してやれ」

襄大人は、自分が連れてきた部下達に加勢を命じた。
三蔵と悟空を取りまく人数が、増える。

「やっちまえ!」

釆の一声で、戦いが始まった。






捕獲命令が一転、殺人命令になった。
三蔵と悟空というまだ子供に良いように手玉に取られ、仲間が葬られた。
その恨みや怒りは抑えようもなかった。

釆と男達は、一斉に三蔵と悟空に襲いかかった。

三蔵は銃を撃ちながら、相手の攻撃をかわす。
悟空は、刃物を振りかざして襲ってくる奴らを全身を使って、叩き伏せて行った。



たかが子供二人、されど子供二人。



それなりに場数を踏んでいるはずの奴らを三蔵と悟空は、それほど手こずることなく打ち倒し、叩き伏せて行く。

「金髪のガキが先だ!」

命を奪いに来る奴を片端から銃の餌食にしていく三蔵に、業を煮やした襄大人が叫ぶ。

その声に悟空が、動きを止めた。



三蔵を…なんて…?



降りかかるものは自分の手で払う、そのことは短いようで長いこの旅の中で三蔵に教えてもらった。
だから、自分に危害を加えようとする奴らから逃げるのは当然だ。

だが、その災いが三蔵にまで及んだら?
自分はどうする?
どうすればいい?

あの暗い岩牢から出してくれた金色の太陽のような人。
旅路の中で様々なことを教えてくれた人。

眠たい

疲れた

喉が渇いた

お腹が減った

楽しい

悲しい

熱い

痛い

恐い

寂しい

忘れていたものを一つずつ呼び覚ます暖かな人。

側に居たい
離れたくない

優しくて綺麗な人。
自分のためには危険も何もかも、命すら惜しまない人。



大切な、大切な・・・・・・。



蓬瑛に襲われた時に目覚めた意志。
だが、すぐに眠ってしまった意志。
その意志が、今、確固たる確信と願いによって悟空の中に根付いた。






三蔵の側に居たい。






その願い一つのために。






銃弾が切れたその隙を見計らって三蔵は四方から襲われた。
まだ、少年の身体には大人の力は抗いがたい。
掴まれた腕を振り払い、伸ばされる手を叩くが、遂に後ろから羽交い締めにされた。

「…っこの、離せ!」

暴れる三蔵を押さえつけようと、新手が加勢する。

「三蔵に触るな!」

三蔵を押さえようとようとした男が、後ろから殴りかかった悟空に一撃で殴り倒された。
小さな身体に似ない力に驚いた背後の奴の力が緩む。
すかさず三蔵はその腕をすり抜けると、銃を握った手で男の顔を殴り飛ばした。

「悟空!」

呼ばれて悟空は三蔵の側へ駆け寄った。

「大丈夫?」

訊かれて三蔵は、顔を顰める。
そして、弾丸を詰め直した銃を悟空の背後に迫った敵に向けて放った。

「容赦するな」

三蔵は悟空にそう言うと、続けざまに銃を撃つ。
晴れ渡った青空に三蔵の放つ銃声が、木霊する。
悟空は三蔵の背後を守りつつ、渾身の力で大人達を叩きのめした。




「これで最後!」

たんっと、軽い身のこなしで地面に立った悟空の足下に、部下の最後の一人が沈んだ。
それを見た釆と襄大人の顔は青ざめる。

「二度と俺たちに関わるな」

殺気を隠そうともせず、三蔵は二人に銃を向ける。
ここに来て初めて、三蔵が法衣を着ていることに気が付いた。

「て、てめえ坊主か」
「だったらなんだ」

どうでも良いことのように答える三蔵に、襄大人は言う。

「ぼ、坊主は殺生しないんじゃないのか」
「喧しい。下衆な奴らに言われたかねえ」

言うなり、その足下に銃を撃ち込む。

「ち、違うのか?」
「さあな」

三蔵が襄大人に気を取られている間に、釆はじりじりとこっちを睨んでいる悟空に気付かれないように場所を移動する。
そして、

「死にやがれ!」

襄大人に銃を向けた三蔵の死角から、釆は大刀を振り下ろした。

「三蔵!」
「なに?!」
「釆!」

三人の声が重なるのと、肉を切り裂く音がほぼ同時に重なった。

「…こ、の…クソ……ガキが…」

ごぼっと、口から大量の血を溢れさせ、釆が崩れ折れた。
その後に、深紅の棒を握りしめた悟空が、真っ青な顔をして立っていた。

「う、うわぁぁ──っ!」

襄大人は、大きな叫び声を上げてその場から逃げ出してしまった。
その声に我に返った三蔵は、自分と釆の間に庇うように入って、釆を殺してしまった悟空の前に立った。

「…おい」

真っ青な顔で惚けた顔をしている悟空の頬を軽く叩く。
その痛みに、悟空は我に返った。

「さ…んぞ…」

何度かまばたき、震える声で三蔵を呼ぶ。
自分を見上げてくる金の瞳は、冒した自分の所行に怯えていた。
三蔵は、何も言わずに悟空の身体を抱きしめた。

「…さんぞ…ぉ」

持っていた深紅の棒を取り落とし、悟空は三蔵にすがりついた。

「いい…いいんだ。お前のお陰で助かった」

すがりついてくる悟空の身体を力一杯抱きしめながら、三蔵は静かな声でそう悟空に告げた。



何も気にしなくていい。
お前のお陰で救われたのだ。
感謝していると。



三蔵がその抱きしめる腕と言葉少なに告げる感謝の気持ちに、悟空は知らずに涙を溢れさせた。

「さんぞ、三蔵…」

舌足らずな口調で、何度も何度も三蔵の名を呼び、悟空は何かを洗い流すように泣き続けた。
街道の外れで、息絶えあるいは気を失った暴漢達の転がるその中で、二人は長い間そうやって佇んでいた。

薫る初夏の風は、そんな二人を気遣うようにまとわりつき、頬を撫で、髪を揺らして吹き過ぎてゆく。
それはまるで、我が子を安ずる母のように。
それはまるで、愛し子をそっと抱くように。

くぐもった悟空の嗚咽は、三蔵の気持ちを深いところから揺り動かし続けた。




旅の終わりが、見えた日。




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