旅の途中 (16)

風薫る木陰で休憩を取る少年と子供。

広げた包みの握り飯を美味しそうに頬ばる子供を優しげな紫暗が見つめていた。
季節は、夏の声を耳元まで運んでくるようになった。
旅程は、長安を旅立って三月の日を刻もうとしている。

拾った子供は、最初の無感動だった頃とは比べものにならないほど表情豊かになり、何にでも興味を示し、三蔵を困らせ、慌てさせた。
それでも、時折、眠ることもせず一晩中起きていることもあったし、何かを諦めた色をその金眼に滲ませることもあった。
そんな時、三蔵は何も言わず、悟空をその腕に抱きしめてやった。
お互いのぬくもりが、そんな悟空の心の闇を少しでも拭えればと、願って。

目の前で美味しそうに宿で作ってもらった弁当の握り飯を頬ばる悟空の姿に、三蔵は穏やかな視線を向け、緩やかな残り少ない旅の道程を楽しんでいた。

今夜泊まる予定の街を出れば、ほんの三日ほどで長安へ着く。
情報が欲しいが為だけに身を寄せる寺院へも帰り着く。
その後に待っているひと騒動を考えれば、三蔵の気持ちは重くなる。
凝り固まったあの修行僧や僧正達が、妖怪である悟空を受け入れることなど考えるまでもなくあり得ない。
そんな僧侶達に、悟空という存在を認めさせなければならない。
だからこそ、気持ちを揺るぎないものへ固めておかなければと思う。



拾った時は、面倒だったのにな…



手放すつもりは最初からなかった。
それが、手放したくないという気持ちに代わり、いつの間にか誰にも渡したくないと言う気持ちになった。
その思いだけが、悟空と共に居る時間の長さだけ強くなるのだ。
それと共に三蔵の胸の奥に灯った柔らかな気持ちは、静かに、だが、確実に育ちつつあった。
その想いの本当の意味に気付くには、まだ、三蔵は幼かった。




「…ぞ、さんぞ?」

ゆさゆさと揺さぶられて、三蔵は我に返った。
いつの間にか、深く自分考えに沈み込んでいたらしい。
法衣を掴む手の先へ視線を移せば、口の端にご飯粒を付けた幼い顔が、心配そうに三蔵を見上げてきていた。

「ああ、悪い。何だ?」

薄く笑って答えてやれば、酷く安心した息を吐き、悟空は三蔵の膝にある握り飯を指さした。

「もっと欲しいのか?」
「うん…。えっと…欲しい?で、良いんだよな」

欲しいと答えて、それが正しいか訊いてくる。
自分の気持ちを素直に表すのがまだ、少し苦手なのか、三蔵に遠慮をしているのか定かではないが、時折こうして、悟空は三蔵の顔色を窺うようなことをするのだった。

「ああ、それでいい」

そう言って、三蔵は悟空の膝に自分の分の握り飯を置いてやった。

「ありがと…」

はにかんだような笑顔を浮かべて、悟空はそれに手を伸ばした。
それに小さく頷くと、三蔵は梢の向こうに見える晴れ渡った空を見上げるのだった。





















「旅は、楽しかったですか?」

月も沈んだ夜半、楽しそうな声が三蔵を目覚めさせた。

悟空を拾った時から、三蔵の傍にある気配。

「災いがまた、降りかかりますよ。だから、ねえ、我にその子供を下さいな」

耳元で囁かれる声。
三蔵は枕の下の銃を握り締めて、身体を起こした。

「おや、また私を撃つんですか?」

部屋の入り口で聞こえる。

「そのお命、頂こうとも思って居るんですよ。ほら、この間、撃たれたから」

くすくすと揶揄を含んだ声音が、窓の傍で聞こえる。
そのたびに三蔵は銃口を向けるが、気配が一所に留まらないため、引き金を引くことが出来ない。

「ねえ、あの罪深き子供を我に下さいな」

すぐ後ろで、声が聞こえた。
振り向きざま、引き金を引いていた。

「おお、恐い、恐い…」
「てめぇ…」
「また、明日」

三蔵の顔にふっと、吐息を残して、声の主はその気配を消した。
何一つ正体の見極められない声の主に怒りが治まらない三蔵は、大きく舌打つと、ベッドサイドの煙草に手を伸ばし、イライラとした仕草で火を付けた。
大きく吸い込んでゆっくりと吐く。
そうしながら傍らの悟空を見れば、もぞもぞと動いていた。
やがて、ゆっくりと金色の花が開いた。

「…さんぞ…どしたの?」

半ば眠った声で問いかけてくる。
それに、

「何でもねぇ、寝ろ」

そう答えて、ずり落ちかけた上掛けを、かけ直してやる。

「……う、ん…」

小さく笑って頷くと、悟空はまた、静かな眠りについた。
その寝顔を見つめながら深いため息を吐く。
やがて、自分の寝台に戻った三蔵は、いつまでも天井を睨みつけていた。





















「…おはよ」

三蔵が支払いをしている間、悟空は宿屋の前で傍に寄ってくる雀たちと遊んでいた。

「俺、悟空ってんだ、よろしくな」

悟空が笑うと、雀たちが一斉に鳴く。
その声に悟空も声を上げて笑った。
早朝の人通りのない通りに悟空の笑い声が響く。

まだ冷たい風が、その笑い声を抱きしめるように吹きすぎてゆく。

三蔵は宿の入り口に立って、その様子を眺めた。




悟空の感情が豊になるに連れ、彼が道端の草や花、木々、風、鳥や動物達と会話をしているような姿を見かけるようになった。
小さな子供特有の何でも擬人化する癖を想い、三蔵はさして気にもとめていなかった。
ただ、そうしている時の悟空の笑顔は本当に楽しそうで、その様子からは暗い牢獄に閉じこめられて居た暗い影は、微塵も感じられなかった。

ひとしきり遊んで気が晴れたのか、悟空の周りに集まっていた雀たちが、そこかしこに飛んでいってしまった。
それを見計らい、三蔵は声を掛けた。

「おい、行くぞ」
「うん」

三蔵の声に元気に返事を返すと、ほんの少し先を歩く三蔵の後を悟空は追った。

今日もまた、晴れやかな良い日になりそうだった。




長安まであと少し。




15 << close >> 17