旅の途中 (17)

太陽が遠くの山にその裾を触れる頃、ようやく野宿できそうな小さな広場を街道からそれほど外れていない場所に見つけた。

「今日はここで野宿だ」
「うん」

三蔵の言葉に頷くと、悟空は枯れ枝を拾いに林の中へ入って行った。
その姿を見送って、三蔵は荷物を解く。
手近な所に落ちている枯れ枝や枯れ草で火をおこし、三蔵は煙草に火を付けた。

考えることは昨夜の気配。
殺気を隠そうともせずに、三蔵を脅し、要求を突きつける。
長安まで今夜を入れて三日、その間に何か仕掛けてくるとでもいうのだろうか。

悟空を岩牢から連れ出した時から、肌が粟立つような殺気を纏って傍に居る気配。
悟空を災いの源と呼び、罪人と呼ぶ。
そして、その手元に悟空を寄こせと姿も見せず、言い募る。

一度は銃弾がその存在を撃ち抜いた。
が、それ以後、何度銃弾を撃ち込んでも全く手応えはない。

吐息をその首に感じたり、体温を肩に感じたりするというのに、その姿を見たことは一度もないのだ。

最初は扉を隔て、二回目はすぐ傍で。
三度目は手応えを感じ、四度目は警告。
五度目は怒りを、六度目はからかいを。
そして、昨夜は殺気と共に。



渡しゃしねぇ…



三蔵の炎を見つめる瞳に、剣呑な光が灯った。











「こんなもんかな?」

薪を拾いながら悟空は小首を傾げた。
三蔵と旅をして覚えた事の一つ。
野宿をする時は、火をおこす。
その焚き火に必要な木ぎれをあつめること。

最初は、三蔵がしていた。
その内悟空も見よう見まねで手伝うようになった。
そして、今は悟空の仕事になった。

「今は、えっと…暖かいからたくさんはいらない。でも、必要だからって、さんぞが言ってたよな…」

両手一杯に枯れ枝を抱えながら、悟空は三蔵の居る広場へ戻って行った。
と、すぐ傍の茂みから声が聞こえた。
びっくりした悟空は、抱えていた枝を取り落とし、脱兎のごとく三蔵の元へ走った。




「三蔵──っ!」

大きな声で三蔵を呼びながら駆け戻ってきた悟空に、三蔵の腰が浮いた。
咄嗟に懐の銃に手が伸びる。

「三蔵─っ!!」

身構える三蔵に構わず悟空は抱きついた。

「何だ?!」

あまりな勢いに三蔵は悟空の身体を受けとめきれず、悟空の身体を抱いたまま地面に転がる。

「さんぞ、三蔵─っ!あっちに、あっちで、声ぇ…声がするぅ」

ぐりぐりと三蔵の胸に頭を擦りつけて言い募る悟空に、三蔵は思わずげんこつを落としていた。

「ってぇ…」
「落ち着きやがれ」

落とされたげんこつと三蔵の低い声に、悟空は三蔵の胸に擦りつけていた顔を上げた。
何度かまばたき、三蔵の顔をまじまじと見つめる。

「落ち着いたか…で、何がどうしたって?」

悟空を身体にのせたまま、三蔵は身体を起こした。
それと共に悟空は三蔵の身体からずり落ち、地面に座り込む。

「悟空?」
「へっ…あ、えっと…あっちで声が聞こえたんだ。ほら、さんぞが熱出してる時みたいな声」

呆けたような状態から戻ると、そう悟空はまくし立てた。
自分が熱を出した時のような声と言われて、咄嗟にピンと来ない三蔵であったが、暫く考えた後、それは人間の苦痛の声だと思い至った。

「どこだと?」
「あ、あっち」

指さす方へ視線を投げ、三蔵は小さくため息を吐くと、悟空を伴って声のした場所を目指した。





















夜半、拾った男が目を覚ました。
もぞもぞと動く気配に、三蔵は眠れずに沈み込んでいた思考の海から浮上した。
視線を投げれば、男は身体を起こして、不思議そうな顔で自分の周囲を見回していた。
しばらく声もかけず、三蔵は男の様子を見つめ続けた。

焚き火の火に浮かぶ男の髪は黒く、見回す瞳も黒いようだった。
年の頃は二十歳を過ぎているだろうか、痩せた体躯とひょろひょろと長い手足に特徴があった。
着ているモノはごく普通のモノで、男の素性を表すモノは何もなかったことを三蔵は思い出し、顔を顰めた。

男は、燃える焚き火に気が付き、次いで向かい側で眠る悟空に気が付いた。
そして、最後に、火の傍に膝を抱えて座る三蔵に気が付いた。

焚き火を通して見る三蔵の闇に浮かぶ姿に、男は見惚れた。
炎に照らされて赤く光る金糸の髪と炎を映す紫暗の瞳。
大人びた容に光る深紅のチャクラ。
華奢な身体を纏う僧衣が豪華な衣装に一瞬、見えた気がした。

「気が付いたのか?」

三蔵の声に男は我に返った。

「あ…ああ…」
「そうか」

男の戸惑ったような返事に、頷くだけで三蔵は問いただしもしなかった。
三蔵にとって男の存在などどうでもいい。
ただ、悟空が見つけた行き倒れの人間で、自分一人なら捨て置いたはずの人間。
そのまま捨てておけばいいのだが、悟空が助けろと煩く言うから介抱したのだ。

三蔵が気になることはただ一つ。
悟空と自分に危害を加えようとするか、しないか。
それに尽きた。
ここまでの旅の間に出逢った危険を考えれば用心深くもなるのだが、目の前で呆けたような顔で居る男に敵意は感じない。
ならばむやみに警戒することはないだろうと、三蔵は考えていた。

三蔵の素っ気ない反応に、男は不思議そうな面持ちでいた。
旅の途中らしい子供の二人連れが、こんな見も知らぬ男を助けて、素性を訊こうともしない。
ただ、面倒臭そうに声をかけてきただけで終わりでは、男の方が落ち着かなかった。
男はもぞもぞと居心地悪そうに体を動かしたあと、自己紹介を始めた。

「お、俺は崔岳ってんだ。長安の親戚を訪ねて行く途中で、胸が急に痛くなっちまって…いや、助かったよ」

崔岳と名乗った男が、相好を崩した。

「助けて貰って本当にありがとう。で、あんたの名前は何て言うんだ?」
「玄奘三蔵」
「…えっ?!」

三蔵の答えに、崔岳の顔が鳩が豆鉄砲喰らったような顔付きになる。
よくよく見れば、純白の法衣に金の袈裟、双肩にかけられた経文、額に深紅のチャクラ。
それは違うことない三蔵法師の出で立ち。

「…玄奘…三蔵法師さまっていや、最年少で三蔵法師を継がれた美丈夫…だって……あんたが…?」

信じられないと瞳を見開く崔岳に、三蔵は煩そうなため息を吐くと言った。

「俺は玄奘三蔵。それ以上でもそれ以下でもねぇし、アンタにも関係ない」
「…い、いや…ま、そうだが……」

三蔵の言葉に崔岳は戸惑ったように俯き、すぐに顔を上げた。

「そうだな。そんなことはどうでも良いな。アンタが俺を助けてくれた事実は変わんねぇんだし。うん…そうだな」

何に納得したのか、先程の戸惑いは嘘かと思うほどに、崔岳はさばさばと、そしてやたらキッパリと頷くと、三蔵に向かって笑った。
その様子に三蔵は紫暗を見開き、まじまじと崔岳の顔を見つめた。

「なあ、まだ夜明けまで時間はあるのかな?」
「ああ…」
「なら、もう少し寝てもイイかな?」
「勝手にすればいい」
「おう、ありがとう」

瞳を見開いたまま受け答えをする三蔵に、もう一度笑いかけ、崔岳は横になると、瞬く間に寝入ってしまった。
三蔵はそれに疲れた吐息を零し、膝を抱え直した。

夜明けまでまだ何時間かある。
今夜はもう、あの気配は現れないのだろうか。
だが、昨夜、声は確かに、また、今夜と言ったではないか。
ならば、必ず現れるはずだ。
それとも、三蔵が寝入るのを待っているのだろうか。



まさか…な……



三蔵は自分の考えに、うっすらと笑い、小さくなった焚き火に新たな木ぎれを放り込んだのだった。




長安まであと三日。




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