旅の途中 (18) |
結局、三蔵は眠ることなく朝を迎えた。 日が昇る寸前、うとうととしたが、あの声の持ち主が現れることはなかった。 三蔵は消えかけた焚き火の火をおこし直し、朝食の準備を始めた。 いつの間にか習慣になった仕事。 それが、悟空を拾ってからの旅は、街に着けば極力宿屋に泊まり、三食きちんと食べ、野党や妖怪に襲われる心配のない街道を歩いた。 危険な目にも遭ったが、それでも当てもなく奪われた経文の行方を尋ねて彷徨う旅ではなく、例え仮とはいえ戻るべき場所を目指しての旅は、三蔵の気持ちを穏やかにしていた。
「さんぞ、おはよ…」 まだ眠そうに、悟空が目を覚ました。 「…もう…朝か…」 もぞもぞと大きなあくびをしながら崔岳も起きた。 「何だ?」 簡易食を三つに分けていた三蔵が驚く。 「だって…」 呆れた顔で三蔵が振り返れば、悟空は頬を膨らませていた。 「坊ず、俺は崔岳ってんだ、よろしくな」 自己紹介をすれば、悟空の膨れた顔が一瞬にして笑顔に変わった。 「俺、俺の名前は、悟空。孫悟空ってんだ」 先程の恥ずかしさはどこへやら。
三蔵と悟空、そして崔岳は、連れだって長安を目指すこととなった。 「なあ、崔岳は長安に何しに行くんだ?」 悟空の言葉に崔岳が、怪訝な表情を見せた。 「何言ってんだ?」 悟空は崔岳が何にを不思議がってるのか、分からない。 「さんぞ、しんせきって何だ?食い物なのか?崔岳の説明じゃわかんねぇよ」 見上げてくる金眼に僅かな怒りと戸惑いをのせて、悟空は三蔵に答えを求める。 「親戚は食い物じゃねぇ。親戚って言うのは、親兄弟と血の繋がったヤツのことだ」 いまいち腑に落ちない顔をしていた悟空だったが、しばらく考える様子を見せたかと思うと、にこりと笑った。 「要するに…三蔵と俺みたいってことだよな」 その確信に満ちた言葉に三蔵はこめかみが疼き、崔岳は声を上げて笑った。
「今日は俺の食事をごちそうするよ」 今夜の寝床に決めた場所に焚き火を囲んで座り込んだ三蔵と悟空に崔岳はそう言って、自分の荷物からリンゴ、乾し肉、パン、そしてソーセージなど、悟空が余り見たことのない食べ物を取り出して、三つに分けた。 「おっと…三蔵様は生臭はだめかな」 訊けば、そんな答えがため息混じりに返ってきて、崔岳は少しびっくりした顔をした。 「本当に?」 ぷいっとそっぽを向く三蔵の様子に崔額は、薄く笑った。 「なあ、もう食べてもいいのか?」 悟空が三蔵の袖を引く。
三日月が登る時刻、三蔵は感じ慣れた気配に目を覚ました。 「おや、お気づきで」 からかいを含んだ声が三蔵の真向かいで聞こえた。 「今日は銃を構えないんですか?」 ひらりと三蔵の背後に舞い降りた気配。 「罪を犯した子供でも情けが移れば可愛いでしょう」 今度は眠っている悟空の傍らに気配が移動した。 「本当に…こんな可愛い顔をして」 そろりと、気配が悟空の頬を撫でた。 「不意打ちとは卑怯ですねぇ…」 ひらりとかわしたはずの気配が、僅かに揺らいだ。 「本当に貴方は我を楽しませて下さる。でも、この子供は我が貰い受けます。そう、明日の晩、必ず…」 もう一度引き金を引こうとする三蔵の顔に、生暖かいと息を残して、気配は消えた。 「…くそったれ…」 がちがちと歯の根が合わなくなった口を噛みしめて、三蔵は己に悪態を吐いたのだった。
膝を抱えて踞る三蔵の姿に、夜が明けてすぐ目覚めた崔岳は薄く笑いを零した。
頑張るねぇ…
消えかけた焚き火の火をおこしながら、崔岳は傍らで眠る悟空の顔を見つめた。 岩牢に幽閉されて五百年。
お前は半身と出逢ったと言うことに、気付いているんだろうか……
出逢うべくして出逢った二人ではあるが、この金色を頂く人間が本当にこの子供の全てを背負うことが出来るのか。
…楽しみだな
崔岳は瞳を眇めて眠る三蔵と悟空を交互に見やった。 「腕、上げましたねぇ」 楽しそうに笑う口元が赤く染まる。 「命を賭けて戦いましょうね、玄奘三蔵」 そう呟く崔岳の口元が、大きく切れ上がった。
長安まであと二日。
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