「ねえ、あなたにとってその子供はどんな存在なんでしょう?大罪を犯し、血まみれの手をした子供ですよ?」

だから、何だというのだ。

「罰を受けて岩牢に入れられていたんですよ?」

何もかもを諦めさせたじゃねぇか。

「災いしかあなたにもたらさないのに?」

そんなもの、何ほどのもんでもねぇ。

「意地をはることはないんです。我が始末をつけますので、その子供、我にくださいな、ねえ、三蔵法師様」

誰が渡すもんか。
アイツは……



旅の途中 (19)
三蔵の銃口が薄い紫煙を上げている。
体力より神経がすり減って、悲鳴を上げていた。

声だけの気配は、呼吸出来ないほどの殺気を三蔵に向けてくる。

「…くそったれ」

三蔵は竦みそうになる己の身体を奮い立たせ、今、目の前に感じる気配に向かってまた、引き金を引いた。





















新月の第一日の月が、糸のような光を夜空に投げかけていた。

長安まであと一日の旅程。

明日の夜には長安の宿の柔らかな寝台で疲れた身体を休めているだろう。
食べ足りない悟空に、腹一杯の食事も与えてやれる。
自分は、寺院へ着く前の準備が出来る。

そう、新しい生活のために、悟空と一緒に暮らすための準備をするのだ。
頭の固い坊主達と戦うための気持ちの準備を。

長安に近づくほど、街道を行き交う人の姿が増え、悟空はその数に僅かな怯えを見せていた。
長安までの旅路で大勢の人々の間を通って来たはずだが、この短期間でモノ慣れろと言う方が間違っているのかも知れなかった。
少し遠回りになるが、悟空の気持ちの平安が大事だと、三蔵は街道と平行に走る脇道へ入った。
脇道に入る前、同行する崔岳にここで別れようと告げたのだが、せっかく知り合ったのだから長安までは一緒に居たいと言って、崔岳も一緒に脇道へ入ったのだった。

「三蔵さまは、本当に悟空が大事なんですねぇ」

少し先を蝶を追いかけてゆく悟空の姿と黙って歩く三蔵の姿を見比べて、崔岳が感心したように三蔵に告げた。
が、三蔵はちらと、崔岳に視線を投げただけで、何も返事は返さなかった。

「怒っちまいました?でも、本当でしょう?」

にやにやと、どこかからかいを感じさせる笑顔を浮かべた崔岳の様子に、三蔵は心中密かに眉を顰めた。



何が言いたいんだ?



三蔵は答えず、そのまま歩みを進める。
それに崔岳は小さく肩を竦めると、前を行く悟空へ視線を移した。

「可愛いですよね、無邪気で何も知らなくて。あなたを無条件に信じて、頼ってる」
「……?」
「あなたも手放したくないって、そう思ってるんでしょう?」

くるりと身体ごと三蔵の方へ振り返った崔岳の笑顔に、三蔵は一瞬、背筋が凍った。

「……なんだ?」

冷たい汗がじわりと背中に滲むのに耐えながら、三蔵はようやっとの思いで声を絞り出す。

「いいえ、ちょっと思ったことを口にしたまでですよ」

にこりと、相好を崩し、崔岳はくすくすと笑いながら、先を行く悟空に追いつくように足を速めた。
その細い背中を見つめる三蔵は、知らずに全身に力を入れていたことに気付くのだった。






長安までの道のりの最後の夜、野宿の場所を決めて三蔵、悟空と崔岳は火を囲んで夕食を摂った。

「なあ、崔岳のおっちゃん、俺、長安で三蔵と暮らすんだって」
「そうか、よかったな」
「うん。で、おっちゃんも長安に用事があってしばらく居るんだったら、三蔵と俺の所に遊びに来てくれよな」
「いいのか?」
「うん。な、さんぞ、いいよな?」

嬉しそうに確認をとる悟空に、三蔵は。

「かまわんが、寺に住むんだぞ」

分かってるのか、と悟空の顔を見る。
悟空はきょとんと三蔵の顔を見返し、小首を傾げた。

「なんで?寺なら遊びに来ちゃいけないのか?」
「寺は遊び場じゃねぇんだよ。それに煩い奴が多い。だから大人しくしてなくちゃいけない所なんだよ」
「…ふーん、そうなんだ」

分かったのかはっきりしない顔で頷く。

「じゃあ、遊びに来られない?」
「そんなことないさ。お参りを口実に悟空に会いに行けると思うよ」
「ほんと?」
「ああ。な、三蔵様」

崔岳は悟空を安心させるために、三蔵へ確認をとる。
それに三蔵は頷いてやると、悟空は嬉しそうに笑って、「きっとな」と、崔岳に約束を取り付けていた。



















夜が更ける事に三蔵の神経が研ぎ澄まされてゆく。
傍らで眠る悟空の幼い寝顔を見つめながら、知らず唇を噛む。

焚き火に照らされた周囲に動くモノの気配はなく、風さえも息を潜めているようだ。
空気が緊張で縛られてゆく。
闇が質量を持ち始めた。

ふっと、三蔵は吐息を感じた。
その瞬間、身体は無意識に反応し、気配が降り立つ先へ向け、引き金を引いていた。

「危ない、危ない」

声の気配がふわりと三蔵の首筋に吐息で触れる。
全身を走り抜ける嫌悪に、三蔵は背後を蹴り上げた。
空を切る音と質量の無いモノが地面に触れる音が同時にした。

「決心は付きましたか?我にあの子を下さる決心ですよ」

その方へ視線を向けた三蔵の耳元で声が囁く。

「ああ」

頷きながら三蔵は気配を探る。
声は嬉しそうに笑いを含んだ。

「では、頂けるのですね」
「誰にもやらねぇ」

言うなり、三蔵は声の気配めがけて銃を撃った。
だが、手応えはなく、代わりに全身を突き刺すような殺気が三蔵に叩き付けられた。

「そうですか。なら、命を賭けて我と戦って下さいね」

声と共に三蔵めがけ目に見えない刃が振り下ろされた。
三蔵の身体は精神が反応する前に、振り下ろされた刃を避けて地面を転がり、手近な木の陰に入り込む。

「勝った方があの子供を自由に出来る。そう言うルールでかまいませんね」

くつくつと喉で笑う声が三蔵の頭上から聞こえる。
その声めがけて引き金を引くと見せて、三蔵は自分の背後に向けて銃を放った。

「ルールも何もねぇ。悟空は悟空のもんだ」

確かな手応えを感じて振り返る三蔵の首筋に吐息がかかる。

「いいえ、あの子は我のもの。我が託された子」

振り返ると同時に繰り出した拳は空を切り、気配が一瞬にして遠のく。
野営の焚き火の光の中、安らかに眠る悟空の姿が視界の片隅に見えた。

「違う!悟空は悟空自身のモノだ。自由に出来る権利は誰にもねえ」

避けた後に鋭い何かが刺さる鈍い音がする。
焚き火の光で透かせば、それは鋭利に切り取られた木の枝だった。

「あの子は咎人。我が所有を許された子。自由に出来るんですよ」

嘲るように、見下したように声は三蔵に纏い付き、締め付けるような殺気を打ち付けてくる。
その殺気に触れるたび、きりきりと三蔵の心が軋んだ。

「何を!」

軋んで痛む心を振り切るように、三蔵は声の気配を辿って銃を撃つ。
が、乱れた気持ちでは僅かに照準が狂うのか、手応えはない。
代わりに、背中を蹴られ、鋭い刃物が掠る。

「ならば、あなたにあの子供を受け容れることが出来るとでも?そんな矮小な気持ちで、あの子を?」

反射的に背にした木の幹ごと弾き飛ばされ、三蔵は地面に叩き付けられた。

「あの強大な力を持った大地の申し子を?誰よりも殺戮と混沌を望む魂を?あなたは引き受けるのですか?そんな脆弱な身体で」

痛みに震える身体を起こして振り返った三蔵の頬を掠めて、細い刃がすぐ脇に突き刺さった。
睨み上げたそこに、悟空と一緒に眠って居るはずの男の顔を見て、三蔵の紫暗が驚愕に見開かれた。




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