「ねえ、あなたにとってその子供はどんな存在なんでしょう?大罪を犯し、血まみれの手をした子供ですよ?」 だから、何だというのだ。 「罰を受けて岩牢に入れられていたんですよ?」 何もかもを諦めさせたじゃねぇか。 「災いしかあなたにもたらさないのに?」 そんなもの、何ほどのもんでもねぇ。 「意地をはることはないんです。我が始末をつけますので、その子供、我にくださいな、ねえ、三蔵法師様」 誰が渡すもんか。
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旅の途中 (19) |
三蔵の銃口が薄い紫煙を上げている。 体力より神経がすり減って、悲鳴を上げていた。 声だけの気配は、呼吸出来ないほどの殺気を三蔵に向けてくる。 「…くそったれ」 三蔵は竦みそうになる己の身体を奮い立たせ、今、目の前に感じる気配に向かってまた、引き金を引いた。
新月の第一日の月が、糸のような光を夜空に投げかけていた。 長安まであと一日の旅程。 明日の夜には長安の宿の柔らかな寝台で疲れた身体を休めているだろう。 そう、新しい生活のために、悟空と一緒に暮らすための準備をするのだ。 長安に近づくほど、街道を行き交う人の姿が増え、悟空はその数に僅かな怯えを見せていた。 「三蔵さまは、本当に悟空が大事なんですねぇ」 少し先を蝶を追いかけてゆく悟空の姿と黙って歩く三蔵の姿を見比べて、崔岳が感心したように三蔵に告げた。 「怒っちまいました?でも、本当でしょう?」 にやにやと、どこかからかいを感じさせる笑顔を浮かべた崔岳の様子に、三蔵は心中密かに眉を顰めた。
何が言いたいんだ?
三蔵は答えず、そのまま歩みを進める。 「可愛いですよね、無邪気で何も知らなくて。あなたを無条件に信じて、頼ってる」 くるりと身体ごと三蔵の方へ振り返った崔岳の笑顔に、三蔵は一瞬、背筋が凍った。 「……なんだ?」 冷たい汗がじわりと背中に滲むのに耐えながら、三蔵はようやっとの思いで声を絞り出す。 「いいえ、ちょっと思ったことを口にしたまでですよ」 にこりと、相好を崩し、崔岳はくすくすと笑いながら、先を行く悟空に追いつくように足を速めた。
長安までの道のりの最後の夜、野宿の場所を決めて三蔵、悟空と崔岳は火を囲んで夕食を摂った。 「なあ、崔岳のおっちゃん、俺、長安で三蔵と暮らすんだって」 嬉しそうに確認をとる悟空に、三蔵は。 「かまわんが、寺に住むんだぞ」 分かってるのか、と悟空の顔を見る。 「なんで?寺なら遊びに来ちゃいけないのか?」 分かったのかはっきりしない顔で頷く。 「じゃあ、遊びに来られない?」 崔岳は悟空を安心させるために、三蔵へ確認をとる。
夜が更ける事に三蔵の神経が研ぎ澄まされてゆく。 焚き火に照らされた周囲に動くモノの気配はなく、風さえも息を潜めているようだ。 ふっと、三蔵は吐息を感じた。 「危ない、危ない」 声の気配がふわりと三蔵の首筋に吐息で触れる。 「決心は付きましたか?我にあの子を下さる決心ですよ」 その方へ視線を向けた三蔵の耳元で声が囁く。 「ああ」 頷きながら三蔵は気配を探る。 「では、頂けるのですね」 言うなり、三蔵は声の気配めがけて銃を撃った。 「そうですか。なら、命を賭けて我と戦って下さいね」 声と共に三蔵めがけ目に見えない刃が振り下ろされた。 「勝った方があの子供を自由に出来る。そう言うルールでかまいませんね」 くつくつと喉で笑う声が三蔵の頭上から聞こえる。 「ルールも何もねぇ。悟空は悟空のもんだ」 確かな手応えを感じて振り返る三蔵の首筋に吐息がかかる。 「いいえ、あの子は我のもの。我が託された子」 振り返ると同時に繰り出した拳は空を切り、気配が一瞬にして遠のく。 「違う!悟空は悟空自身のモノだ。自由に出来る権利は誰にもねえ」 避けた後に鋭い何かが刺さる鈍い音がする。 「あの子は咎人。我が所有を許された子。自由に出来るんですよ」 嘲るように、見下したように声は三蔵に纏い付き、締め付けるような殺気を打ち付けてくる。 「何を!」 軋んで痛む心を振り切るように、三蔵は声の気配を辿って銃を撃つ。 「ならば、あなたにあの子供を受け容れることが出来るとでも?そんな矮小な気持ちで、あの子を?」 反射的に背にした木の幹ごと弾き飛ばされ、三蔵は地面に叩き付けられた。 「あの強大な力を持った大地の申し子を?誰よりも殺戮と混沌を望む魂を?あなたは引き受けるのですか?そんな脆弱な身体で」 痛みに震える身体を起こして振り返った三蔵の頬を掠めて、細い刃がすぐ脇に突き刺さった。
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