少し笑うようになった。
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旅の途中 (5) |
旅の速度は変わらずに遅く、長安までの道のりの半分も消化していなかった。 辿る道に咲く花に、空を飛ぶ鳥に、雲に、行き交う人に興味を引かれ、立ち止まっては触れ、確かめる悟空の所為だった。 そんな悟空に三蔵は忍耐の許す限り付き合った。 突き放せば、危ういバランスの上に立っているだろう悟空がまた壊れそうで、そんな悟空を見たくないと、何処かで三蔵は臆病になっているからかも知れなかった。
腕を引かれて悟空の指さす方を見れば、街道から一段低くなった荒れ地一面にタンポポが咲いて、広大な花畑をなしていた。 「な、行ってみよう」 三蔵の返事も待たず悟空は掴んでいた手を離すと、一目散にタンポポの花畑目指して走り出した。 「…おい、悟空!」 慌てて三蔵も走り出す。 「気持ちいい!」 タンポポにまみれて笑う姿に三蔵は、呆れたため息を吐く。 しばらくタンポポの花畑の入り口で花の中を転げ回ってはしゃいでいた悟空を見るともなしに見ていた三蔵は、悟空に近づく人影を見つけた。
「さんぞ!!」 飛びついてくる悟空の身体を受けとめながら、三蔵は自分達の方へ近づいてくる青年を見つめた。 「やあ、こんにちは」 屈託のない声で、自分を睨みつけるようにして立つ三蔵に笑いかける。 「その子、可愛いねぇ。名前、なんて言うの?」 三蔵の後ろに隠れるようにしている悟空の顔を覗き込んで、青年が訊ねる。 「怖がらないでよ。何にもしないって。ね」 両手を上げて敵意がないことを二人に見せるが、三蔵も悟空も緊張したまま、気を抜く気配はない。 「突然、声を掛けたから驚かしちゃったんだ。ごめんね。僕は、蓬瑛っていうんだ。よろしく」 にこっと、人の良い笑顔を見せ、握手を求めるように片手を差し出した。 「あら、恥ずかしがり屋なんだ」 ちょっと驚いたような、多分にからかいを含んだ声が三蔵の背中を打ったが、三蔵は振り向きもせず、悟空を連れて街道へ戻って行った。
「……さんぞ、あいつ…あいつ、恐かった…」 タンポポの花畑からずいぶん離れてから、ぽつりと法衣を握りしめて悟空は呟いた。 「何?」 思わず聞き逃しそうになるほどの小さな呟きに、三蔵は悟空を振り返った。 「あいつって、さっきの銀の髪をした馴れ馴れしい奴のことか?」 問いかければ、泣きそうな顔で頷く。 「な、なんかよくわかんないけど、あいつ、恐いよ。あいつが側に来たら胸が、ぎゅってして恐いんだ…恐い……」 言いながら耐えきれず、悟空は涙を零した。
夕暮れの空を見ながら、三蔵は野宿できそうな場所を探していた。 「やあ、また会ったね。街はもう少しだよ。ねえ、一緒に乗っていかない?そんなペースで歩いていたら街には着けないし、野宿になっちゃうよ」 そう言って、三蔵の腕を馬車から身を乗り出して掴んだ。 「触るな。俺たちに構うな」 低い声音で三蔵はそう言い、蓬瑛を睨みつけた。 「怒らしちゃった?なら、ごめんね。でも、僕は君たちと友達になりたいんだ。だから、一緒に行こうよ」 睨む三蔵を気にもとめず、にこにこと蓬瑛は馬車に三蔵と悟空を誘う。 「行くぞ」 それを無視して、三蔵は背後の悟空に声を掛けると、歩き出した。 「綺麗な子だったな。兄さんの知り合いかい?」 御者台の男が、蓬瑛に訊ねた。 「まあね」 そう答える蓬瑛の口元は、楽しそうに笑っていた。
集めた薪に火を付けて、ほっと一息を付く。 「何が、そんなに恐い?」 夕食の携帯食料を分けながら、三蔵は悟空に問うた。 「…わかんない。でも…あいつに近づくと良くない事が起こるような気がして…また…一人になるような…そんな気がして……」 ぎゅっと、三蔵の法衣を握りしめ、顔をすりつけてくる。 「そうか…」 三蔵は悟空の頭を軽く撫でると、分けた食料を渡してやった。 「何にも起こりゃしねぇ。安心して食え。心配ならあいつの居る街を迂回してやる」 だから、大丈夫だと、頷いてやった。
夜中、また不意に三蔵は目が覚めた。 「その子供、災いを呼びましたよ」 三蔵は横になりかけた身体を静かに起こしながら、懐から銃を取り出し身構えた。 「お気を付けなさい。災いは子供を壊しにきますよ。あなたが、我に子供を下さらないからですよ」 声の位置を探るが、今夜は声の主の気配を全く捉えることが出来ない。 「先日は鉛の弾を頂きました。災いが来ていますので、それが去ってからお命、頂戴致しましょう。では、また」 楽しそうに喉を鳴らして声は笑いながら、消えた。 最初に聞こえた頃より、声は凄みを増していた。 何が来ても、どんな事が起こっても、悟空を傷つけさせはしない。 やっと、笑うようになったのだ。 その笑顔を三蔵は、もっと見たいと思った。 だから、誰にも渡さない。
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