この男は何だ?
どうして、こんな事をしている?

俺の大切な人に



旅の途中 (7)
「三蔵!」

後ろ手に縛られ、転がされた悟空の口から悲鳴にも似た叫びが上がる。

蓬瑛は三蔵の身体に馬乗りになり、その喉元に短剣の切っ先を突きつけていた。
軽く先が三蔵の白い喉元にめり込み、そこから細く赤い糸が伸びていた。

その赤い糸に悟空は、黄金を見開く。

目の前に広がる赤い光景。






赤い、紅い、朱い・・・・






白い大きな背中、金糸の長い髪。
立ちすくむ子供を庇うその人は、紅い色に染まる。
崩れ折れるその姿を子供は声もなく見つめる。

倒れる音。

叫ぶ声。

それはあまりにも受け入れ難い光景。
それはあまりにも美しい光景。
やがて、子供の口がゆっくりと悲鳴の形をとる。

声は無い。

音のない叫びは、紅く染まったその人の意識を呼び覚ます。
花びらのように美しい容に朱を散らしたその人が口を開いた。

言葉は確かに子供に届く。

弾かれたように子供は駆け寄り、取りすがった。
優しい笑顔を子供に残し、その人の透明な紫暗の宝石は光を無くす。

子供の心は断ち切られた。






訳のわからない喪失感と危機感に悟空は、蓬瑛にむしゃぶりついていった。
だが、腕を縛られたままではどうすることも出来ず、体当たりした身体は難なく振り払われ、悟空は地面に再び転がった。

「邪魔しないでよ。この子がいるから君は僕と来ないんでしょ。だから、いらない子は始末するんだよ」

楽しそうに蓬瑛は喉を鳴らして笑うと、身体の下の三蔵に向き直った。
三蔵は油断した自分を呪い、己を組み敷き、見下ろす蓬瑛を射殺すような殺気に染まった瞳で見上げていた。
その瞳を蓬瑛は嘲るように見返すと、ゆっくりと短剣を横に引いた。
紙で指先を切ったような痛みが走り、三蔵の喉元に朱色の線が生まれる。
そこから滲み出る血はゆっくりと盛り上がり、やがて三蔵の首筋を伝って流れ落ちる。

その血の色に悟空は、動けなくなった。






紅い,赤い、朱い・・・






飛び散る血潮、浴びる返り血。

振るう刃は赤く染まって、光り輝く。

止められない凶器。
戻せない狂喜。

殺す喜び。
殺す楽しみ。

喪失の哀しみは何物にも代え難く、幼い心を砕いてゆく。

泣き叫ぶ黄金。
血塗れた黄金。

累々と築かれてゆく骸の砦。

その上に立つ姿は悲壮なまでに美しかった。

子供の慟哭は全てを突き崩した。






「…殺してやる」

絞り出した三蔵の言葉に蓬瑛は嬉しそうに笑うと、三蔵の手首をひとまとめに縛り上げた。
自由な足で蓬瑛を蹴り上げようとするが、リーチの差はいかんともしがたく、三蔵は近くの木の枝につま先が着くぎりぎりの高さに吊り上げられてしまった。
悟空は三蔵の流した血と白い法衣が赤く染まるその様子に魅入られたようになって、地面に転がったままだった。

「君さ、綺麗だから丁寧に切り刻んであげるね。あの金色の瞳の子は珍しいからきっと、欲しい人がたくさんいると思うんだ。それにあの子は可愛いし、綺麗だからきっと高い値が付くよ。君も嬉しいでしょ?」

喉の奥で笑いながら、蓬瑛は三蔵の着物の帯を切り落とした。
はらりと帯は落ち、法衣がはだける。
はだけた法衣の下には、黒いアンダーシャツとジーンズが見えていた。

「それが最初からの目的だったのか」
「決まってるじゃない。街道で見かけて、野原で見つけて、絶対欲しいって思ったんだ」
「くそったれが…」
「のほほんと寝てる君が、悪いの」

そう言って、蓬瑛は三蔵の頬を短剣で叩くと、悟空の方へ向き直った。

「悟空!このサル!!逃げろ!」

三蔵が叫ぶ。
だが、悟空は何の反応も示さない。

「悟空っ!」

三蔵は力の限り叫んで。
その大きな声に一瞬、悟空の肩が揺れ、瞳に光が戻ってきた。

「さんぞ…?」

きょろきょろと見回して、ようやく木に吊された三蔵に気が付いた。

「三蔵!」

立ち上がりかけたその足下に短剣が突き刺さる。

「動いちゃダメ。君はそこにいてこの子が赤く染まるのを見てるんだ。それが終わったら。楽しい所に連れて行ってあげる」
「なに…」

楽しそうに笑うと、悟空の身体を抱え上げた。

「離せ!」

ばたばたと暴れる悟空をモノともせず、蓬瑛は悟空を三蔵が吊り下げられた木と反対側の木にくくりつけた。

「ここで、見てて。ちゃんと見てなくちゃだめだよ」
「止めろぉ!三蔵を離せ!離せぇ!!」
「やだよ」

口をとがらして拒否をすると、蓬瑛は三蔵に向き直った。
そして、地面に突き立てた短剣を拾うと、三蔵の前に立った。

「君もホント、綺麗だね」

怒気を漲らせた三蔵の視線に怯むこともなく、蓬瑛は短剣を持ち替えると、三蔵の右肩に短剣を突き刺した。
焼け付くような痛みが三蔵を襲うが、三蔵は呻き声一つ上げなかった。
変わりに悟空が悲痛な悲鳴を上げる。

「ふーん。以外に我慢強いんだ」

刺した短剣を引き抜くと、もう一度同じ所に突き立てた。
それでも三蔵は、呻き声を上げず、蓬瑛を怒りで染まった紫暗で睨みつけた。

「どこまで耐えられるんだろうね」

引き抜いた短剣の血を舌で舐めあげる。
その舌の長さに三蔵は蓬瑛の正体に気が付いた。

「てめぇ、妖怪だな」
「ふふ…わかちゃった。でも、人を食べるのは嫌いだよ。いたぶって遊ぶのは好き。血も好き。何より珍しくて可愛い子が大好き」

振り下ろした短剣が三蔵の胸を袈裟懸けに切り裂く。

「三蔵っ!」

悟空が少しでも三蔵に近づこうと暴れる。

「声、聞かせてよ。でないと面白くないじゃん」
「誰がてめえみてえなクソ野郎に聞かせるか」
「つまんない奴。せっかく綺麗なのに」

撫でるように胸の傷を触り、あいた左手で右の脇腹を切り裂く。
流れる血が足を伝い、草の上に赤い水たまりを作っていく。
悟空は白い法衣を赤く染め、切り裂かれる三蔵が声も上げず、自分に危害を加える蓬瑛を睨み付けているその燃えるような紫暗の瞳に、三蔵の生きる意志を見る。



無くしたくない。
絶対に!



蓬瑛に出会ってから夢に出てくる赤い風景。
綺麗な金色の懐かしい光。

その全てを失う夢。

暗い闇の中に消えて行く白い後ろ姿。
目を開けば闇の中に一人取り残されて・・・。
叫んで、走って、捜して、探して、泣いて、飛び起きた。
隣に三蔵が居る。
三蔵の寝息が聞こえる。

それが嬉しくて・・・

あの岩牢から連れ出して、見上げていた空よりも広く、焦がれていた太陽よりも眩しい世界があることを教えてくれた、きらきらと輝く大切な人。



許さない…!



悟空は力の限り腕を突っ張り、縄を切ろうと渾身の力を全身に込めた。

縄が切れるのと蓬瑛が、三蔵の足に短剣を突き立てたのは同時だった。




意志が生まれた。




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