跳ね飛んだ身体は、木の幹にめり込むように叩きつけられた。「許さない!」
ずるずると幹に背を預けたままその場に座り込む蓬瑛は、嬉しそうに顔を上げた。
口の端から零れる血を舌で舐め取る。
「へえ、力、強いんだ」
自分を射抜く瞳は、さながら黄金色の炎にも似て、蓬瑛の背筋をぞくぞくさせる。
蓬瑛は、後ろ手に身体を支えて立ち上がった。
「力が強いだけじゃ、僕は殺せないよ」
嬉しそうに笑うその身体が、何の前触れも無しに宙を舞った。
一瞬、悟空は蓬瑛の姿を見失う。
「上だ!」
三蔵の上げた声に上を見上げれば、鋭く伸びた爪を揃えた手刀を前につきだした蓬瑛が目の前に迫っていた。
後ろへ身体を投げ出すようにして避ける。
地面に手刀が触れる寸前、蓬瑛は一回転して悟空の避けた後に舞い降りた。
そこへ間髪入れず、悟空の蹴りが蓬瑛の顔面を叩いた。
ガードするために上げた片腕と共に、悟空の蹴りのスピードに負けて、蓬瑛の身体はもう一度幹に叩き付けられる。
今度は、細いとは言い難い幹を二つに折るほどの勢いで。
木の折れる轟音が、辺りに響き渡った。
「…すげぇ」
木に吊されたまま、悟空と蓬瑛の戦いを見ていた三蔵の口から、思わず感嘆の声が漏れる。
悟空は肩で息をしながら、三蔵の傍に近づいた。
そして、
「今、下ろすね」
そう言って、蓬瑛が落とした短剣を口にくわえると、三蔵が吊された木にするすると登った。
吊された枝を跨ぎ、悟空は枝に括り付けられた縄を切った。
途端、三蔵は地面に投げ出される。
「痛っ…」
ほどけた縄を振り捨て、三蔵は身体を起こした。
切られた傷が、ズキズキと痛む。
悟空は登っていた枝から飛び降りると、座り込んでいる血だらけの三蔵の傍に同じように地面に座り込んだ。
「大丈夫?」
恐る恐る問いかける声は震えていて、先程の強さはみじんも無い。
「大丈夫だ…」
安心させるように悟空の顔を見た三蔵が、突然、悟空を突き飛ばした。
「えっ?!」
悟空が地面に転がると同時に、銃声が響いた。
慌てて身体を起こすと、三蔵が銃を構えていた。
銃口からは、微かに紫煙が上がっている。
向けられた銃口の先に、額と胸を打ち抜かれた蓬瑛がゆっくりと倒れる姿があった。
「まだ…」
「詰めが甘いんだよ、サル」
「ゴメン……」
うなだれる悟空に大きく息を吐いて、三蔵は銃を下ろした。
そして、
「荷物取ってこい」
と、木に身体を預けながら、悟空に言った。
悟空は大きく頷くと、燃え尽きた焚き火の傍の三蔵の荷物を取りに走った。
その後ろ姿を見つめながら、意識が朦朧としてくる。
だが、ここで意識を失うわけにはいかないと、三蔵は思った。
意識を失えば、悟空が持たないと。
理由もなく、そう、思った。
痛みに朦朧とする頭を振って、何とか意識を保ち、悟空が差し出した荷物から救急セットを取り出させた。
「これ、どうするの?」
出した救急セットの蓋を開けて、戸惑う悟空に指示を出し、取りあえず一番酷い肩と足の傷の応急手当をさせた。
おぼつかない手つきではあったが、傷口を消毒し、傷薬を塗布したガーゼを当てさせ、包帯を巻かせることに成功した。
「これで、いい?」
心配そうに三蔵を見つめる悟空に、大丈夫だと薄く笑って、三蔵は身体を横たえた。
「少し寝る。お前も寝てろ。夜が明けたら、街道へ出て人を捜してこい」
「人?」
「そうだ。この足じゃ俺は、歩けねぇからな」
「さんぞ、歩けないの?」
「ああ」
「じゃ、じゃあ、俺が街まで連れて行ってやる」
「何?」
悟空の申し出に三蔵は、びっくりする。
「大丈夫、俺が連れてってやる」
自信満々に言う悟空に、三蔵は傷の痛みの所為の目眩ではない、目眩を感じた。
いくら悟空の力が強いとは言っても、悟空より頭一つは背の高い三蔵をどうやって街まで連れていくというのだろう。
背負って?
抱いて?
引きずって?
担いで?
想像することすら遠慮したい自分の姿に、三蔵は力一杯ため息を吐いた。
そして、
「もう、寝ろ」
そう言って、三蔵は目を閉じた。
要するに現実逃避を決めたのだ。
握り拳で断言し、固く決心している悟空の気を変えさせるだけの気力は、今の三蔵に無かったというのが、正しいのだが。
三蔵が、目を閉じて眠ってしまったのを見た悟空は、自分も三蔵のすぐ傍に丸まると、すぐに眠ってしまった。
日が昇ってすぐ、三蔵は息苦しさに目が覚めた。
悪寒が背筋を撫で上げる。
熱が出たらしい。
傷を考えれば、熱が出ない方がおかしい。
まずいことになったと、思いながら横を見れば、悟空が丸まって気持ちよさそうに眠っている姿が見て取れた。
熱のあることを悟空に知られる訳にはいかない。
昨夜はしっかりしていたが、三蔵が見た目以上に実は重傷だと知れば壊れかねない。
熱で震える身体を起こそうとして、どうにも無理なことを悟った。
では、どうするか。
はっきりしない頭で考えても、良い案が思いつくはずもなく、三蔵は仰向けに寝ころんで、朝焼けに染まる空を見上げていた。
やがて三蔵は喉の渇きを覚え、うつ伏せに寝返って、頭の上に置いてある荷物に手を伸ばす。
が、力が入らない。
「…くっ…」
震える指に無理に力を入れると、体中が痛んだ。
構わず荷物を引き寄せ、何とか水筒を出す。
が、栓を開けられない。
開けようと力を入れたその手をすり抜けて水筒が悟空の方へ飛び、眠っている顔に当たった。
「…んっ…痛ぁ…」
当たった場所を撫でながら金色の瞳が開いた。
何度かまばたき、三蔵の顔をその瞳に捉えた。
「さんぞ?」
起き上がって三蔵を覗き込む。
そこに潤んだ紫暗が、悟空を見返していた。
「水」
掠れた声で告げると、三蔵は仰向けになった。
息が荒くなる。
悟空は不思議そうに頷くと、手元に転がっている水筒の栓を開けて三蔵に差し出した。
三蔵は悟空が差し出した水筒を受け取ろうと手を伸ばす。
が、上げたはずの手は微かに動いただけだった。
悟空はそんな三蔵の様子をきょとんとした顔で見ている。
「おい、飲ませろ」
「え、あ…うん」
三蔵の声に悟空は気付いたのか、三蔵の身体を起こして水筒を口に持っていく。
三蔵は何とか自由になる方の手を悟空の手に添えると、貪るように水を飲んだ。
「さんぞ?」
悟空は起こした時に触れた三蔵の体の熱さに、驚いた。
水筒の水をほとんど飲み干して、三蔵はまた、地面に横たわる。
「おい、街道へ出て、人を呼んでこい」
「さんぞ…熱いよ、身体」
「人の話を聞け。いいか、俺は動けない。お前も触ってわかっただろう?だから、その林を抜けた所にある広い道を通る人間を誰でもイイからここへ呼んでこい。いいな」
荒くなる呼吸を宥め宥めそれだけを言うと、三蔵は悟空に行けと顎をしゃくる。
悟空は、三蔵の身体の様子がいつもと違うことを感じ、言い知れぬ不安が胸の内に頭をもたげてくる。
今、離れたら、もう会えないような、そんな不安。
「早く、行け、サル!」
動かない悟空にじれて三蔵が、怒鳴った。
その声に弾かれたように悟空は立つと、街道に向かって走り出した。
走り去って行く背中が次第に霞み、三蔵の意識は闇に飲まれた。
柔らかな感触と心地良い冷たさに三蔵は、目を開けた。
見慣れない白い天井が、見えた。
視線を変えれば、窓が見え、そこから四角く切り取られた空が見えていた。
三蔵は自由になる方の腕を付いて、半身を起こした。
途端、上からタオルが胸の上に落ちる。
「……?」
周囲を見渡していると、扉が開いた。
その音に振り返り、瞬時に身構える。
動くことで走る痛みを無視して、三蔵は銃を構えていた。
「おいおい、物騒な奴だな。命の恩人に銃を向けるか?」
呆れた声音が上から聞こえた。
扉の前に両手を上げて白衣を着た男が、苦笑を浮かべて立っていた。
「誰だ?」
警戒心剥き出しで訊く三蔵に、男はウィンクを一つ投げてよこし、
「真紹、医者だよ」
と、笑った。
その明るい笑い声に三蔵は、軽く息を吐き、緊張を解いた。
「お前、名前は?」
「三…蔵」
「また、ご大層な名前だな。三蔵法師と同じだとはな、こりゃいい」
豪快な笑い声を上げると、三蔵の傍に近づいた。
「ふむ…。熱はまだあるようだがそれだけ動ければまあ、いいだろう」
「ああ、お陰で助かった」
「礼なら、そこで寝てる坊ずに言え」
「坊ず?」
「ほれ…」
真紹が指さす先を見れば、悟空が床の上に丸くなって眠っていた。
「その坊ず、必死になってお前を助けてくれって、林の入り口で叫んでいた───
林の入り口で叫んでいた悟空に、朝帰りの真紹が気付いた。
不安で半ば恐慌を来していた悟空は、近づいた真紹に肩を掴まれるまで叫んでいたらしい。
声を掛けると、「助けて」と言いながら三蔵の下へ真紹を引っ張って行った。
悟空の指さす先を見れば、血だらけの三蔵が、高熱に意識を失って倒れていた。
慌てて駆け寄って、傷の具合を診ると重傷であることが知れた。
何でこんな傷を負ったのか、ここへ引っ張って来た悟空に訊いても確たる答えは返って来ない。
が、折れた木の根元に妖怪の死体があったのを見て、襲われたとわかった。
真紹は三蔵を抱え、悟空に荷物を持たせて街道を少し外れた自分の家まで運んで、手当をした。
もう少し遅れていれば、命は無かったらしい。
───坊ず、お前をここに運び込んでからずっと、片時も傍を離れようとはしなかった。飯もろくに食わず、眠りもせず、じっとお前の傍にいた」
「…そうか…」
眠っている悟空の顔を見やる。
胸に聴こえる声は、不安と恐怖に彩られていた。
起きろ…悟空
三蔵は悟空を安心させてやりたいと思った。
やっと、人並みな感情を見せだした。
蓬瑛との戦いで、自分の意志から戦いまでもした。
三蔵のケガの不安から、また、元に戻ったら・・・だから、願った。
目を覚まして、気が付いた自分を見ろと。
願いは、叶った。